超能力、とりわけ、予知能力について

小学校〜中学校ぐらいの頃だろうか、私(おうる)は電話の着信を直前に察知することができた。私(おうる)が「電話?」という、その直後にベルが鳴る、こうしたことが重なると、家人は不思議がった。私(おうる)は、それを「超能力」であるということにして、面白がっていた。
勿論それは一般的な範疇からすれば超能力ではない。呼び出しがかかる瞬間、「チン…」と微かにベルが鳴る、その音を聞き逃さなかった、それだけのことである。理屈からすればベルが(本格的に)鳴り出す 2秒前に着信を察知できることになる。
ただまあ、その理屈を知らない人にとっては、私(おうる)のやっていることは「超能力」の発露としてしか解釈しようがない。その意味では、私(おうる)は昔、超能力を持っていた。また、電話機からかなり離れたところで別のことをしていても、私(おうる)はかなりの頻度で着信を「予知」した。これは多くの人にとって、やろうと思ってもできないことである(特定の音刺激に対する感受性・反応性には個人差がある)。その意味においても、これは「超」能力であるということが可能である。*1
(電話のワンコール目の前にあらかじめ着信を知ることのできる能力だから、「予知能力」である、という言い方もできる。)
私はできないのだが、電磁波に対する感受性のある人は、携帯電話の着信を「予知」する「超能力」を披露することができるかもしれない。
結局、だからどうと言うことでもないのだが、能力などというものは所詮そういう性質のものだ。多くの人が習得可能か、不可能か、ひいては真似しやすいか、しにくいか、そうした差があるに過ぎない。(勿論、使い勝手がいいか、悪いか、つまり、つぶしが効くか、効きにくいか、という差もある。)言うても、「電話の早取り」はわりと使える「能力」ではあるので、鍛えてみるのも悪くないかもしれない。
余談。最近はかなり衰えたが、昔は電話が鳴ったときに、それが誰宛の電話なのかかなりの確率で言い当てることができた。いまでも、メールが着信して着信音が鳴ると、そのメールがどういったメールなのかが概ねわかる。
これも別に「超能力」ではなく、メールや電話の着信した時間帯、頻度、履歴のコンテクスト、etc. などからその時点でもっともらしい推測を推しだしているに他ならない。

*1:「超能力」と「ただの能力」とかそういった話題については id:owl:20031223#p2 このへんで既に触れている。