雨谷教授のつぶやき

すべての学校からいじめはなくすことなどできないよ。それは、世の中から失恋をなくせ、世界から戦争をなくせ、地球上から風邪をなくせ、というような無理難題のひとつだ。なんでそういうものを、あたかもできるかのような前提で議論をするのか、理解に苦しむね。

■ 私(おうる)のレポート

いじめはなくならない、について、私(おうる)は 2方面からこれを肯定する。

  • 人間に憎しみや怒りの感情がある限り、いさかいはなくならないし、むしろ、なくすべきではない。いさかいにおいて当事者両者のパワーバランスが崩れ、なおそのいさかいが継続した際、それはいじめと呼ばれるものになる。つまり、いじめは人間が生物である限り一定の頻度・確率で発生し続け、なくならない。
  • いじめに明確な定義がなく、当事者若しくは第三者が「それをいじめである」と主張すれば、それはいじめになる。仮に現在いじめと定義されているものが根絶されたとしても、その時点で新たに「より軽度なもの」がいじめと呼ばれるようになる。この定義のボーダーラインは際限なく下がりうる。つまり、いじめは論理的にみてもなくすことができない。

現状、地震は予知できない(できていない)。現在の地震対策は、地震が完全に予知できないということを前提とし、そこから立脚しなければならない。いじめも、同じ。