おふくろの味

owl2003-05-03

ホットケーキなどを焼いてみる。フライパンに生地を落とす前にフライパンを濡れぶきんにあげてムラが出ないようにするぐらいのことは流石の私(おうる)でも知っていたが、生地を作る際に泡立て器で丹念に混ぜなければならないなど、この歳にしてはじめて知った。たまたま泡立て器が手許になかったため、菜箸で、3倍の労力を費やし、かなりしつこく攪拌を試みた。
努力の甲斐あってか、実に美しい焼き色の、もっちりとした食感を持つ「それ」は出来上がった。今まで私が(家で作って)食べていたホットケーキ、あれは一体何だったのであろうか。
ことさらに母親のことを悪く言うつもりはない。しかし、悪いけどあの人は、こと料理に関してはセンスのかけらも持ち合わせていない人であった。大風呂敷ではなく、冗談抜きで、いまでもまずい料理はことごとく母親を彷彿とする。ベチャリとした、ソースとケチャップの味しかしない「スパゲッティ」、固まってすらいない、銀杏の入っていない「茶碗蒸し」、煮物と見まごう「野菜炒め」、両者をそれぞれそのまま食べた方が明らかに美味しい「てんぷらそば」…。忘れたくても忘れられない。
そして幼い頃から「それ以外」を知らずに育ったため、それが異常事態であるということに気付くのには、かなり長い年月を要した。



「だから私は料理ができないのです」などと言うといいわけがましくなってきて嫌だ。このへんにしておこう。そう、ひとつだけ感謝しなくてはなるまい、それは、不機嫌で作る料理は美味しくなりようがない、ということを、身をもって教えてくれたそのことだ。