「それでいいんですよ」

 こうして教わった先生のことをああでもない、こうでもないと、書き連ねて 5人目。別に、こうして採り上げたからといって特に好きな先生だったとか、まだ書いていないから嫌いな先生だとか、そんなことはない。
 そんなこんなで、今回の先生は、中学校の数学教師、A先生。授業で御世話になった以外、担任でもなかったし、接点も少ない。「印象に残る先生は」と言われたとき、まず名前の挙がるようなタイプでもない。
 中学校の数学教師というと、多くの人が抱くイメージは共通している。おおかたが「金八先生」に出てくる数学教師のような、神経質で、数字にうるさくて、やせぎすでスーツ着用、銀ぶちメガネ。生活指導担当で副担任、口癖は「口ごたえするな!」…そんな感じ。あるいは少数派だが、薄汚れた白衣の御茶ノ水博士っぽい風体、フクロウの鳴くような声で、小声で喋る。授業中はうしろのほうから「先生聞こえませーん!」のコールがしばしばかかる。ときどき、授業の進行などお構いなしで瞑想していると思ったら、彼の頭の中では数式が巡っている。にこにこして宿題を出す。公式の証明はいつも嬉しそう。…こんな感じか。しかしA先生はそのどちらでもない。みため数式とは縁のなさそうな感じなのだ。事実得意なのはバスケットボールと、かなり体育会系。ただ、体育の教師と言うにはちょっと体型が…。言うなれば、理工系のなかでもかなり「機械工学」か何かに寄った雰囲気だった。
 私自身は、数学は大好きなのに苦手、というディレンマを抱え、今でも日々苦しんでいる。そんな私にもA先生は、「数学数学」と気負わせないところがあった。
 中学校に入学して最初のゴールデンウィーク、その前日の授業で、1枚のプリントが配られた。そのタイトル、


数学 楽しい連休のためのありがたい宿題について  
 本文には「(前略)…皆さんが楽しい連休を有意義に過ごせるようにと、やさしい数学の先生は宿題を出してあげることにしました。…(後略)」。正直な感想として、「こういう先生って、ほんとうにいるんだなぁ」と、思った。(そのプリントは今や懐かしい「わら半紙に鉄筆ガリ版刷り」。とっておいたはずなのだが、残念ながら見当たらない。)
 こんなこともあった。2年の時の私の担任は、気の強い雰囲気で有名だったのだが、こともあろうか、第1学期が終わると結婚してアメリカに行ってしまうと 7月になってから電撃発表(どうもかなりのお嬢様だったらしい)。数学の授業中に雑談でその話に至り、独身のA先生にあるひとりの生徒が突っ込んだ。「先生、F先生(※担任)、とられちゃうよ。どうする?いいの?」
 すると先生はニヤリと笑い
  「まぁ、タデ喰う虫も好きずき、っていうんですかね(フッ)」
 …素敵過ぎますそのコメント。 
 そんなA先生に、卒業後思わぬ形で再会することになったのは、かつてクラスメイトだった中学時代の友人の、葬式でのことだった。
 死因は交通事故。軽トラックを運転していて、交差点で他の車に突っ込まれたらしい。潰れた運転席に事故後 40分間も閉じこめられた彼は、搬送先の病院で死亡が確認された。中学時代は数々の破天荒な事件である意味楽しませてくれたやんちゃな悪ガキ。優秀な家柄の末っ子なのに、お世辞にもよくできた奴ではなかった。「殺しても死なない」といわれていた。そんな彼の、あまりに早過ぎる死。
 霊安室で彼は、ぴくりとも動かなかった。
 年の暮れも押し詰まり、通夜が 30日、告別式が 31日という、ある意味彼らしさ満点の、最期の最期までひとさわがせな別れだった。私はお通夜だけに参加。懐かしい顔ぶれが数多く見られる。そんな中にA先生も。卒業年次の彼の担任だったらしい。みんなと少し話す。こんな葬式で言うのも非常に不謹慎なんだけど、久々の懐かしい顔をいっぱい見ましたよ、とか。すると先生はこういった。「…それでいいんです。葬式は久々にみんなが集まって顔を合わせる場所なんです。彼がみんなを呼んだんですよ。」
 私も彼に呼ばれたひとり。先生も呼ばれて来た。そうか、それでいいんだ。なんか気持ちがラクになった。彼はもう帰ってこない。でも、ここでみんなで最期のお別れをする。みんなこうして来ている。それでいいんだ。いいのかもしれない。
 先生はひょっとすると今でも独身で、でも家持ちで、御両親と一緒に暮らしているのかもしれない。たまにニヤッと笑って、きついイヤミを言っているのかもしれない。でも、きっと私の他にも、先生のちょっとシニカルなユーモアで心を解きほぐされた生徒はいっぱいいるんだろう。これまでも、そしてこれからも。