「教育に捧ぐ」

 私は所謂「よい子アイデンティティ」が強い子供だったので、是にしろ非にしろ比較的先生方のおぼえあらたである。また、私のほうでも、教わった先生の記憶は比較的強い。試しに思い出してみたら、人の名前をすぐド忘れする私が、幼稚園〜高校の 13年間にお世話になった担任の先生 11人のうち 10人の名前をフルネームで覚えていた。(思い出せなかったひとりは、学年の途中で結婚退職された先生の替わりに担任となった家庭科の教師である。ファーストネームがどうしても出てこない。)
 そんな、担任をはじめ、専科担任・教科担任など教わった数10人の私の「先生」のなかで、私が「もっとも教育者たる人」を挙げるとすると、それは幼稚園の先生である、と言うと思う。
 そんな先生が長く採られていた教鞭を置いてからもう数年が経つ。その間、お会いできる機会はきっと何度もあったのに、そのすべてをみすみすフイにしたことは、私のちょっとした後悔の種だ。
 T先生は、私が教わった頃には既にベテランの教師だった。私の逸脱ぶりは齢5歳にして既に開花しており、いろいろと奇妙なことをしてみたり、突拍子もないことに興味を持ったり、妙にませていたり、誰もが唖然とするようなシチュエーションでいきなり泣き出したり。無駄な知識をひけらかす傾向は、どうもこの頃から変わっていないようだ。そんな私に対しても、先生は非常に辛抱強く、そしてしっかりと対応してくれた。穏やかで落ち着いた物腰は、ヒステリー傾向で早合点の母親とは全く違うタイプの女性であった。第二次ベビーブームのさなかで当選率 5人に4人の抽選にまんまと漏れ、年長組のみの 1年保育となってしまったことも、先生と出会えたことですべて帳消しにできるといったところであった。
 でも私は、先生のことをいくらも知っているわけではなかったのだ。
 私が卒園後、そんな先生が、園長先生として母園である東戸山幼稚園に戻られたと聞いたのは、私が大学生の時分であった。気ままな学生生活を送っていた私は、大学に行く途中にふらっと幼稚園に立ち寄っては、先生と話をさせていただいた。いろいろととりとめなく話すうち、先生がどうして幼稚園の教師になったのか、という話に至る。
 そのとき私が聞いた話というのは、少なからず衝撃的であった。普通、幼稚園の先生というのは、小さい子供がかわいくてしょうがない、子供を相手に過ごしたい、子供の成長を間近で見守りたい…といったような、総じて言うと「子供が好き」という動機からその道を志ざすというのが一般的な線であると考えられ、そして実際、ほとんどの幼稚園教諭が「子供の笑顔を見たくて」教職に志しただろう。しかし、T先生の話は違った。
 先生は学生の頃、学友や学者陣と討論を重ね、そして思索を深めた。教育というものの問題点についても考察した。その結果、人間形成の過程において教育活動に占める「幼児教育・初等教育」の重要性に気付いたという。幼児教育こそ、教育の中で最も重要なもの。そして、その実践のために、幼稚園教諭として教育活動に従事することに決めたのだ、という。
 誤解を恐れずに言うならば、先生にとって、子供のかわいさ云々は、全く関係のないことだったのだ。幼児教育の重要性を認識したがゆえ、論理的帰結として自らの人生を幼稚園へと投じる選択をしたのであった。
 そのとき同席し、一緒に話を聞いていた幼稚園の先生も、園長先生のこの告白に驚きを隠せないようであった。当時、幼稚園教諭として 1年目、すべてをそこで学び始めていた彼女は、園長先生の園児に対する暖かく、優しいまなざしを日頃見ているだけに、なおさら信じがたいようであった。
 しかし私は、確かにそうかもしれない、と、思い当たる節を、心のどこかでしっかり感じていた。以前に先生と話をしているときに、話題が私の彼女のことに及んだ。そこで先生はこうおっしゃったのだ。「そう、気になっていたのだけど、好きな人はいるの? …というのがね、失礼なことかもしれないのだけど、あなたのようにお母様に対して不信感を抱いている人が、恋愛対象となる女性に対してどういう感情を持つのだろう、と思って。」
 そのときの先生の目は、研究者のそれであった。
 信念に基づき、自分の道を選択する。そしてその道をただまっすぐに進み、極めてなお、さらなる探求心を失わない。そのうえでの、園児に向けられる細やかな愛情…。 私の、先生に対する尊敬は揺るがない。それは、その人生を教育に捧げ、自らの信念を実践し通した人間への尊敬だ。そして、そんな人が私の人生最初の先生であったという運命に、私は感謝する。



以前書いた文章(「今日の戯言」)をほぼそのまま再掲。この「裏庭」にて、保管文書を虫干ししているような、そんな気分で。(こうした行為を世に「お茶を濁す」ともいう。)
虫干しなので、雨が降ったら早々に仕舞うかもしれない。露が降りたら場所を移すかもしれない。…つまり、そんな気分で。