「だからひどいといったのだ。」

「君たちは植物のことを知らな過ぎる。ボクも知らないが、君たちはもっと知らない。もっと勉強しなくては、駄目だ。」
国語の教師である。謙遜ではなく、ほんとうに植物のことは詳しくなさそうであった。
我々生徒の卒業とともに、定年退職。つまり、年齢差は 40以上。それでも本気で議論していた。議論というか、真面目に張り合っていた。本人に向かっては絶対に言えないあだ名は「キャベツ」。髪型や顔型からついたと思っている人が多かったようだが(体型や外観でつけるあだ名は大概にして残酷なものである)、ほんとうは違った。部活動の合宿のとき、軽音楽部の顧問(おそらくなり手が他にいなかったのであろう)として参加していた彼が食事の準備で配膳をしていた当番の生徒(他の部活の人間である)に向かって「右! キャベツは、右だ!」と叫んだことから、というのが真相らしい。
教科書の中の文章に「『明日の月日のないものを』となるのである」というような文章が出てきたことがあり、「この元となる歌を知っているか」と先生。ひとり挙手し答えた私(合唱部)に「歌ってみろ」。内心(うわぁ〜)と思いつつ「嫌ですよ」と答えると「(さも仕方がないというように)では、ボクが歌おう。」 で、授業中に堂々とワンコーラス。「こういうものを知らないと、君たちは駄目だ。」って、歌いたいだけだったのでは、先生?
本気で理詰めすれば崩せそうなところが魅力な、愛すべき頑固者の江戸っ子というのが私の印象。ディベートなら誰にも負けはしないなんていう甚だしい勘違いをしていたその頃の私は授業中にもホームルームにも、闘争心むき出しのえげつない議論をふっかけたものだった。でも、意外なところで私はグウの音もないほど打ちのめされる。
日直は、出席番号順に回ってくる。日直の仕事なんてものはまあ些細なもので、出席簿の上げ下げ、黒板を消す、そして日直日誌を書く、そんな程度だ。でもって日直日誌。その日の出来事をなにかしら書くわけだが、先生が必ずコメントをくれるのでなにかおもしろいことを書いたりするのが日直のせめてもの楽しみとなっている。
その日直が回ってきた際に、私は、ある意味高校生らしい愚痴を書いた。「彼女ができません」と。「身のまわりにそれらしい女性がいない。一定レベルの人にはみんなもう彼氏がいるし、まったくどうしたものか…」と。翌日、先生がどんな反応をしているかと日誌を覗くと、赤ペンで「それはひどい。」とだけ書かれていた。ひどいとは、どういうことか。
同じことを思ったクラスの他の人が「→なにがひどいというのですか?」と書き足したところ、数日後に赤ペンがさらに加えられていた。「この理屈では、彼氏のいない人は一定レベル以下ということになる。だからひどいといったのだ。」と。
専門は国文学。念の為もういちど、年齢差は 40以上。当時はそんなこと露ほども思わなかったが、我々生徒は真剣勝負をしながら同時にトモダチ感覚を楽しむだけ楽しんでいたのかもしれない。
【2006/02/26記す】