「いちばん子供、いちばん大人」

 中学1年の私は、ちょっと別の意味でイカレていた。「若気の至り」とか、そういうような表現もできるかもしれない。あのときの私の判断がその後の私の人生を微妙に左右したような気もする。重要なターニングポイントを次々と外した、そんな感触もあるし、案外しっかりクリップしたのかもしれない、そんなふうに思うことも不可能ではない。
 …てな話は割とどうでもよい。
 中1のときは、音楽の先生をリスペクトしていた。今までとは全く違うほんものの声楽に触れ、歌うことの喜びと楽しさにある意味酔っていた。私にとってその教師はカリスマだった。その先生が翌年、転任していった。私は落胆していた。そんなわけで、同じ長野県出身という共通点を持ちながらタイプの全く異なる新任の女性音楽教師に、私は当初馴染むことができなかった。
 最初の授業で、私は先生に向かってこんなことを言った。「…でも、女声には男声を教えることはできないって言いますよね。」 前任の先生の受け売りであった。完全なる宣戦布告かなにかのつもりだった。机のない、椅子だけの音楽室で歌ってだけいればよかった昨年の音楽の授業と違う、ごく普通の音楽の授業が私にはおもしろくなかった。
 それでも、声だけは自慢だった。歌のテスト(ソロコン)ではクラスの不良君を本気で感動させることができた。先生の伴奏には注文を付けた。普通サイズの音楽室を「鳴らす」ぐらい余裕だった。そのくらいできて当然だと思っていた。そしてその「当然」のなりゆきで、女声しかいなかった合唱部の助っ人として合唱コンクールに参加する選抜メンバーにいつの間にか加えられていた。
 夏休みは特別練習をし、ステージに立った。秋の校内音楽祭でも、合唱部演奏のステージに加わった。なんとなくハメられたような気もしなくもなかったが、ともかく私はその先生の指揮で歌った。そうした中で、私はこの先生も、「それ」を前面に押し出していないだけであって充分に「音楽家」であるのだということを、本能的に感じ取っていたのかもしれない。
 その先生は、気さくな人だった。屈託のない明るさがあった。前任の先生がペシミスティックでネガティブな傾向の強い人物だったことを思うと、あらゆる意味で対照的だったともいえる。おしゃべり好きで気が強く、華奢にみえて芯があった。あまり博識の感じはしない、教師としては普通のタイプだった(し、そうあろうと努めているようでもあった)。音楽性についてはあまりわからないのだが、中3の時に他の1名とともに重唱でコンクールに出ることを勧めてくれた(これは実現はしなかった)あたりからすれば、私が合唱よりもソロに向いているということはよくわかっていたようだ。ともかく、いつの頃からか、私は最初の反応とは打って変わって、彼女と普通に話すようになっていた。どんな話をしたかはよく覚えていないが、普通に四方山話を結構重ねたような気もする。
 彼女が私について言った言葉、彼女は当然覚えていないだろうが、私は非常に印象に残っている。
「あなたとは、いちばん子供で、いちばん大人の話ができるわね。」
 これをどういうつもりで言ったのか、私にはわからない。わからないけど、言葉の意味は大体わかった。そしてこれは、中学生の私にとって非常に嬉しい言葉だった。
 いまでも「いちばん子供、いちばん大人」は、私の目指すところとなっている。
 先生は、音楽家である前に教師であった。そして、教師対生徒としてより以前に、人間対人間、市民対市民として接してくれようとしたのだと思う。
 数年後、彼女は「タナベ先生」ではなくなった(「タナベ」でも「先生」でもなくなった)ことを人づてに聞いた。その折には、記念に合唱を捧げるという先生側からの一方的な約束もあったのだが、残念ながら(というべきか、幸いにしてというべきか)果たされることはなかった。