真夜中のラブレターは投函してはいけないという。

このエントリは日が替わってから*1書いているわけだが、それでは、夜書いたものが駄目なばかりかというとそんなことはなく、むしろそういうものはどんどん創出すべきだ。

夜の作業の問題点
眠い
集中度が高い(視野が狭い)
確認検証がしにくい
往々にして単独作業

構造的に没入しやすいということだが、勿論これはあっさりと利点に転換されうる。かのマグリットもわざと寝不足状態を作り出し、睡眠と覚醒のギリギリの狭間で創作活動をしたという。日中の様々な抑圧から解き放たれ、理性的自我からも解き放たれ、意外な名作が生まれいずるかもしれない。
ただ、いきなり発表するのは危険すぎる。翌朝以降に検証したほうがいい。内的な、且つ極めてパーソナルで大事な部分を吐露する必要に迫られるラブレターならなおのこと、そのまま投函してはいけないということである。
日記も(わりとパーソナルな部分に近いものであり)、あんまり眠いときに書くと揺り返しがきついので注意…。(ということで以下のアートにも微修正が入っています。)

*1:翌日の始発が動き出して以降という意味で、あしたまにあ〜な的に実質的な翌日。関連アート:http://d.hatena.ne.jp/owl/20050414#hamada

いまさら乗ってみた

今のところ数日で戻そうかと思っている。
ていうか「おまえなどフクロウの餌にしてやる」って、意味が分からない。誰に何を主張しているかも不詳。どうやれば「おまえ」を「フクロウの餌」にできるのかも全くうかがえない。フクロウの餌にすることによって生まれる効果とか影響も不明。何故いまさら「おまえムーブメント」なのかも不可解。
でも、よくわからなすぎて突き抜けちゃっているのでしばらく残置。

ビンゴ!

先週の予告トリビア、トートバック関連の蘊蓄が予告されていたわけだが、私(おうる)の予想「トートバッグは氷を運ぶための袋だった」で概ね正解だった。*1
今週の予告トリビアは「フグ」だった。フグ肝特区の話か、あるいはなにかフグの特異な生態の話だろう。
…というようなことをほとんど本放送を見られない状態でやっているわけだ。ビデオに録って観てもいいのだが、なんかそこまでは、という気がしている。内容は mixi のコミュでチェック。ネットって便利だな、というか、我に返るとそこはかとなくものがなしい。

*1:というか、このネタ以前、番組へ投稿したような気がする。

で、トリビアといえば。

あのナレーションなわけだが、知らなかったので調べた。備忘メモメモ。φ(.. )

と、書いてみて気付いた。たぶんキーワードがあるだろう。とりあえず更新してみよう。
【追記】更新してみた。予想通りキーワードはあったものの「最近は、トリビアの泉でおなじみ。」ぐらいしか書いていなかった…。 リンク先を見れば済むということなのか、どっかから勝手に引用すると著作権の問題が生ずるということなのか。
仮面ライダーとかウルトラマンとか、あと田宮版の巨塔のナレーションも彼だったのではないか。私(おうる)は高音で重みのない声なので中江真司とか森山周一郎とかああいう重量感のある低い声がちょっと羨ましく。

「応用」は applied だからいいんです。

日本語の「応用」にはこれこれをどうにかこうにかしてうまいことあれする、みたいなニュアンスがあるのだが(どんなニュアンスだよ)、英語の「applied」にはもう少し違うニュアンスがあるような気がしていた。さらにいうと、例えば「応用地学」という学問分野には「地学を応用してうまいことあれする」というニュアンスは無かった。どちらかというと「地学的分野の一角を斬新なアプローチであれする学」に近い印象。ここではほぼ「applied ≒ advanced」*1
で関連語が「application」なわけだが、最近ではこれは一方でパソコンなどのソフトウェアを指す。(パソコンの「アプリ」を「応用」という語で訳そうとすると現状あからさまに無理がある気がする。このへんからも「applied」と「応用」が一対一対応でないことがうかがえる。)
つまりなにがいいたいのかというと、

  • 応用言語学といった際には、「言語学スキルをどうにかこうにかしてうまいことあれする学」でなく「応用的なあれでもって言語を語る学」で全然構わないと思う
  • 「applied」および「application」を「応用」以外のナニカうまい訳で表現できないものでしょうか

の 2点。
とかなんとか、それらしきことをぽりぽりとモノしてお茶を濁す。そしてインスパイア先へリンク。→ id:sugio:20050427#a (逆リンクいただきましたありがとうございます)
追記しておくと、「応用○○学」という表現はややレトロな表現であり、曖昧であるということもあって現在は研究分野ネーミングのトレンドには無いようだ。たとえば、私(おうる)が卒業した大学にかつてあった「応用地学研究室」も現在は改称され無くなっている。このレトロさが、逆に在野の学師にとっては魅力に繋がるし、名称によって内容を規定しないこともメリットとなりうる。気楽にいこうよ、という意味合いも込められるように思う。(確かに、コメントで頂いたような問題点は残る。)
私(おうる)も「応用博物学」とか標榜しようかな。

*1:世の中全てにおいてそうではないのかもしれないが、とりわけ私(おうる)は理学部だったので、中心には常に「真理」とか「自然」みたいなものがあって、ここに迫るための方法論が「学問」という図式が定着している。切り口や手段が斬新であるか伝統的であるかという違いはあれど、ベクトルはどれも 1点を向いている、というイメージ。