なぐる詩人の会:おいしいそれと、そうでないそれ
- おいしいカスピ海(グリコ乳業(株)):JAN:4971666402179
クレモリス乳酸菌という、カスピ海ヨーグルトと同じ菌株を使用しているという。酸味が少なく、なめらかで粘性の高いという特徴もそのまま、つまるところ普通のカスピ海ヨーグルトそのものである。ということは、あれです、再増殖も可能なのではないか、という、当然辿り着く仮説*1。しかしである。
グリコオリジナルのレシピと製法、衛生管理 で作っていますので、ご家庭で作られる際 のタネ菌としてはご利用いただけません。 |
これは単に「繁殖は、やらないでね、なにかあっても知らないよ」という意味である、という超訳結果が出た。たぶんやってできないわけがない。なぐる詩人の会を立ち上げた私(おうる)が言うのだから間違いなさそうかもしれない(やけに弱気)。ところが、「じゃあ、試してみればいいじゃん?」という帰結に到達する頃には既にヨーグルト 400g 全量喰い尽くしていた。ダメじゃん。もしまた店頭で見かけたら、実験前提で購入してみよう。
さて、肝心な味のほうである。確かによく言われるとおり好みの分かれる感じだ。私(おうる)も「数あるヨーグルトの中でもこの味が絶品!」とは言わない。しかし、鼻や舌を刺激する酸味が無いのはヨーグルトがあまり得意でない人にも抵抗無く受け入れられるかもしれない。そのまま(無糖)でも食べられるし、砂糖とハチミツで甘くすれば普通にいけた。
恐らくはその味も普通の(一般に出回っている)カスピ海ヨーグルトとさして変わらない*2。ということは、商品名についている「おいしい」は非限定用法修飾句であるということだ。それともこれは限定用法であり、普通のカスピ海ヨーグルトは恐ろしくまずいとグリコの中の人が考えているということか。
どっちでもいい気がしてきた。カスピ海ヨーグルトに対して一定レベル以上には真剣になれない自分がいまここにいる。
■ 後日追記…訂正気味に。
自分で育てるカスピ海ヨーグルトの場合、ヨーグルト生成に主たる働きを持つクレモリス乳酸菌の他に、嫌気性菌であるクレモリス菌をサポートするような働きをするアセトバクター菌(好気性)も入っており、この 2つがあってはじめて(繰り返しの)ヨーグルト生成が可能ということらしい。
市販のヨーグルトの場合、ヨーグルト化に直接関係がなく、色やカタマリをもたらすアセトバクター菌は添加せずに作っているということなのだろう。衛生管理の行き届いた食品工場で生産するならば、無菌操作も無酸素状態の維持もそう難しいことではない。確かにそういうことならば、市販カスピ海を種ヨーグルトにして、家庭で手軽にヨーグルト増殖をしようとしてもうまくいかないというのは肯ける。
再び
というわけでまた行ってしまいました。なにか御質問は。
←これが昨日、私(おうる)を絡め取った看板。
今回の実演販売の担当は花房氏。今日はもう買う気満々で行ったので、あんまり迷わなかった。いま武田刃物の主力である青紙スーパー*1の刃物を限られた予算の中でとりあえず手にする、その目的を達するにはこれ。
全長 約8.5cm 刃渡 約3.5cm 刃厚 約2.5mm \6,300.-
目の前で最後の仕上げ研ぎを施していただく。オリジナルの柄付き砥石は刃物の上から砥石をかける独特の使用法で素人にも簡単、というそれだ。私(おうる)も試してみたことがあったが、あんまりうまくなかった。鉈の研ぎなど素人がそう簡単にできるわけがない。まあ、可能であるならば、プロに任せたほうがいいに決まっているのだ。
研ぎを入れてもらっている間に「クラフト小刀」\16,800.- を手に取ってみる。打刃物の真骨頂たる、5mm はあろうかという厚刃の小刀だ。手にした途端に吸い付くような握り心地。ずしりとくる重さも適度で、使いやすそうだ。欲しい! …欲しいが、いまは手が出ない。でも、いいものはいい。クラフトマンの端くれを自負するならば、フィールドマンのマインドを忘れずにいるつもりならば、いつかはこのクラスを。そして、このクラスの刃物のポテンシャルを最大限引き出すような仕事を、この手で。
それはいつのことだろうか。
ついでに購入。
ニッポン鍛冶屋カタログ―野の匠の知恵と技を手に入れる (ショトルライブラリー)
- 作者: かくまつとむ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
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なお、文中で触れた品物については
このへんで見ることができる。
通勤電車恐怖症候群
今日の通勤電車の先頭車両は普段より微妙に空いていたような気がしたのだが、それこそ気の所為だろうか*1。
なんだか電車の中で掴まらずに頑張って立っていたりとか、荷重をできるだけギリギリ吊革の方に移してパンプアップの限界点を引き延ばすトレーニングまがいのことをするとか*2、ヘッドホンをはめ、目を閉じて、半分瞑想に近い状態に没入するとか、正味なところ寝てしまうとか、手すりに肩胛骨の一点だけ当ててあとはバランスで姿勢を保つとか、諸々そういうようなコトしているとほんとうにとんでもない目に遭ってしまうんではないか、とかそういう杞憂が頭をちらつく。
そんななか、そういえば、京浜東北線南行が蒲田駅にさしかかる直前に被る激しい横G*3が、今日に限ってほとんど感じられなかった。しっかり減速すれば電車の揺れはここまで違うのだ。昨日の今日だから、運転手も無茶はできないのだろう。悪いことではないと思うが、じゃあ今まではなんだったのかと問い質したくもなる。加えて言えば、事件事故の記憶は風化する。ひと月も経てばきっとまた元の状態に戻る。戻っていいものなのかどうかは、それは言わずもがなだ。
最大で数千人の生命の糸をいちどに引っ張って運転している、その事実を直視できない人、そう、両方の意味で直視できない人*4(個人に限らぬ)は、電車の運転をやめたほうがいい。