もう少し「博士の愛したアレ」を引っ張ってみる。

その前にネタ不足を恥じよ自分。
でもって柴田純ばりに「わかっちゃった」つもりになっている私(おうる)であるわけだが、飽くまで仮説段階であるわけで、検証には小川洋子の他の作品をいくつか読んでみる必要がある。さらに、「ではなんなのか」に明確な答えがあるわけではない。映画の内容も含めて考えて、候補はいくつか挙がっているが、どれも中途半端だ。いまのところは禅問答的に(あるいは三流ミステリ小説的に)「そんなものははじめから存在しない。解答終わり。」であって逆に後味が悪いとも言える。
つまり、核心は、こう。
「彼ははじめからオイラーの公式を愛してなどいない。」
もちろん数学者として一定の愛は注いでいたであろうが、タイトルに掲げるほど特筆すべき愛であったわけではない、というのが当研究所(跡)の現時点での結論。手がかりはいくつかあるが、ここでつまびらかにするのは避ける。
検索にかからないように、若干ルーズに書いてみた。


【後日追記】 そろそろ書いてもいいかな。
要するに「数式」というと理系の人間は「等式・不等式・方程式の体をなしているもの」という前提で考えてしまい、そこから抜け出せない。小説(及び映画)の中でまともに出てくる(しかもストーリーに根深く絡んでくる)「方程式」というと「オイラーの公式」しかない。
…しかし、「数式」といっても、本当は狭義の「数式」のことを指していなかったとすれば…?
およそ理数系には信じ難いとは思うが、表題やタイトルなどにはノリや語呂のよさなどから本来の定義から外れる語彙を用いるということが、しばしば世の中では行われる。「ホントはちょっと違うんだけど、だいたいあってるからいいか」ぐらいのノリで勝手に拡大解釈するのである。私(おうる)は、それが別段に悪いこととは思わない。そうして言語というのは進化し、変容していくものだからだ。(そのプロセスにおいては少なからず問題が生ずることを無視してはいけないが。)


彼が愛した「数式」とは、これ。→ √


小説のタイトルとして「〜が愛した数学記号」じゃ、如何にもあれでしょ? だから「数式」って言っちゃった。「数式」じゃないけど、「数式」ってサクっと言っちゃった。間違いって騒ぐほどの誤用でもないし、ちょっと謎っぽさも増すから、タイトルとしては、いいよね。…みたいな。
以上が熾火研究所の推論的結論。


…すっきりした?


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