運命というほど大袈裟なものではないにしても

私(おうる)が拝借した本の読了に能力以上の情熱を注ぎ込んだことに深い理由はないのだが、結果論的にはそれは非常に合理性をもった行為となった。本を返却できる機会が明日以降失われたためである。それは事前にわかっていたわけではなく、今日、突如、判明した。そのこと自体はことさらに強調するほど重要ではないのだが、運命…という単語を用いるのが大袈裟に過ぎるとするならば、タイミング…の妙を感じずにおれない。ただし、「私は無意識のうちになにかを知っていたのだ、だからこんなに急いだのだ」などというオカルティックな物言いを展開したいわけでは、決して無い。
予定通りならば、朝の電車内で利用可能な数10分も計算に含めることにより、明日朝、2度の通読を経た本を無事返却することができる。お礼のつもりの、先日録画した DVD を添えて。