下着の多様化過程に見られる進化的収斂現象について(「勝負パンツ」という単語の系統進化学的考察・Vol.2)

電子音でみよんみよんみよんみよんやってたりとか柑橘類に含まれる油分を体感したりしていて、なかなかまとまらなかった。そんなこんなで今更感満載ではあるが、とりあえずモノしてみた。熾火研究所調べ。

Summary

「見せ下着」と「勝負下着」は装飾性という外観上の類似点が指摘される場合があるが、誕生の経緯も目的機能も異なる。これは生物界における「進化的収斂」と類似の現象であると考えられる。

見せ下着の歴史

見せパンの誕生は女性下着に男性下着の要素を取り入れた「ユニセックス系下着」との関連が強い。一般的になったのは恐らく CALVIN KLEIN あたり→グンゼの Body Wild シリーズ*1といったところだろうか。もともとはこれらの下着に装飾性はなく、どちらかというと機能美を追求したスタイルであった。色もモノトーン。
本来きっちり隠れることがその機能の重要なひとつであった下着をファッションの一部として利用してしまおうという思想は、意外に「便利」であることが認識され、その後バリエーションを増やしつつ一気に広まった。「見られるのは困るが、見せるのなら問題なし」「微妙に透けて見えたりするのは格好悪いしエロいが最初から見せてるならそういったことが無くなる」「そうだよ、見せちゃえばいいんだ」ということが様々な意味において理解されるのには、機の熟する為の時間もさることながら、素材や縫製技術などの品質向上、またタイミングなど*2も重要であったと考えられる。扱いが厄介でコーディネートやトップスのデザインのボトルネックであったブラストラップも、(ひとつには透明ストラップというソリューションもあったわけだが)はじめから見せることを前提として考えればコーディネートの巾を逆に広げる。
この進化における必然として、見せ下着は装飾性を獲得していった。

ユニセックスの示す意味に関する留保事項

ここで注意しなければいけないのは、「ユニセックスファッション」といった場合、特に男性のファッションについて「ユニセックス」といった場合には、通常とは別の意味が導入されている可能性があるという点である。勿論このことはファッションの歴史の一部として捉え、整理する必要はあると考えられるが、飽くまでアングラ的要素まで視野に入れた場合の話であろう。ここでは避けて通る。
男性の勝負下着という概念が歴史から消えていったことと、このことは、決して無関係ではないと思われる。  

下着のもうひとつの役割 = individualization

「見せ下着」という概念が定着する以前の下着は「見えないこと」がその重要な機能のひとつであった。この場合において下着の装飾性というのは「誰に見せるものでもない」ということになる。つまり、自分の為。これが成立するのがファッションの不思議なところであり、美意識というものの不思議なところである。
誰に見せるでもない、自分の為の装飾であるとするならば、それは理論的には際限がない。*3
いっぽうで「誰に見せるものでもない」ことが記号論的に重要な意味を生ずる。本来見せるべきでないものを、ある特定の人物だけには見せるために虎視眈々と準備する。これが「勝負下着」の一側面。
だたしこればかりとは言えないのが複雑なところで、おしゃれには「自分に気合いを入れる」という機能もあり、普通は見せない下着へのおしゃれは見える部分へのおしゃれよりもこの要素が数段強くなる。 野球選手が天王山に臨んで「履くパンツの色」に気を配ったりするのと、思想的に同様*4。これも「勝負下着」の欠くべからざる一側面である。
かくして「勝負下着」はいずれの「対戦用装備」であったにしても、色や、デザインなどが凝る方向にシフトする。かように「勝負下着」は装飾性を獲得してゆく。

進化的収斂現象

「装飾性を獲得」という点では一見共通のものであるかのようにも思える「見せ下着」と「勝負下着」であるが、以上の分析から明らかなとおり、一方は通りすがりのおまえらにも見えることに意味を見いだしている、もう一方は通りすがりのおまえらには見えないことが重要である、ということからして、これらそれぞれの「進化的収斂」にみられる結論(≒到達点)は全く別であると考えられる。勿論、同じ 1着の下着がある日は「見せ下着」、別のある日には「勝負下着」として使用され、機能することはあるかもしれないし、所謂「よそ行き」であるという共通点は確固たるものであるのだが、あるひとつのコーディネート条件において両者の要素が共存することはありえない。これは生物学でいうところの「生態的地位」(Niche)の競合というものに相当するのではなかろうか。
ただし「勝負水着」においては分析がまだ充分ではなく、且つ、以上の結論が適応できないということが予測されている。この正確な分析にはイベントという特殊条件を考慮した上で、ユニフォームやコスプレも含めての考察が必要であると考えられ、充分なデータ収集と分析が今後の課題である。

結語

まあ相変わらず、だからなんだと言われると、困る。

追記

「見せパン」に関しては、スポーツ(テニス・バドミントン・チアリーディング etc.)における「アンダースコート」という先駆的事例が存在するわけだが、これについては(その存在の微妙さをも含めてかんがみて)本稿では割愛する。因みに現在では所謂「アンスコ」よりも「インナースパッツ」が(スポーツ以外のショートスカートシーンにおいても*5)主流であるようだ。
また、「戦闘服」の歴史的背景として「ボディコン+勝負パンツ」的な意味合いで用いられた場合の「勝負パンツ」に関しては、本稿で示した事例と合致しないわけだが、進化学的にはこれは一過性の異常事態であったと考察するのが適切であると当研究所では判断している。

*1:こちら当初は男性向けモデルのみのラインナップであり、女性が着用していたのは単に CM 上の演出であった。女性向けがラインナップされたのは、男性用が発売されてからしばらくのちのことである。記憶が確かならば、当時の報道によれば、CM を目にしたユーザー(つまり、女性)からの問い合わせや要望があり、商品開発に至ったというような経緯があったようだ。

*2:たとえばキャミソールの流行、ローライズボトムの普及など

*3:「誰かの為」の行為というのは、その「誰か」との関係性とその「誰か」の影響力により限度が規定される。しかし「自分の為」の場合、関係性を定義できないので、限度の設定が随意であり、それゆえ極端なことになりかねない。自分しか見ない部分のファッションには一切頓着しないということも起こりうるし、インフレーション状態に陥る可能性もある。

*4:こうした「勝負への思い」を下着に込めるという考え方においては「誰にも見せない」ということが「願掛け」的な意味合いからして重要であったりするから、行動的側面ではやはり「見えないことが重要」であったりする。ただ、この符合に意味があるかどうかは不明。

*5:詳しくは書かないが、察してください