辿り着けない罠・越えられない壁

さっくりと簡単に。今回のコマネチ大学数学科は「美術館定理」ということで、監視カメラの必要最低数を出すことと、(導いた必要最低数 -1)台では足りないことの証明が求められていた、という割には、最後のほうをなんとなくもにょもにょと済ませてしまっていたような印象を受けた。答えそのものはなんとなく考えても正解が出てしまう*1し。ついでに言うと、この問題を一般化して考察するには先週のトポロジー的概念を導入しなくてはいけない(というか、すればよい)という妄想がやってきて、でも自力ではどうすることもできないのでやっぱりもにょもにょ。
解として紹介された数式には例外がかなりあるし。なんとなくもにょもにょ。
一応、もう少しシンプルで直感からでも到達可能な解法を小一時間考えてはみたのだが、所詮無理な話であった。…いや、正直なところ、凹部を数えて潰してゆけばいいという考え方は間違っていないと思うのだが、その「凹部」をどう数えれば一般化できたことになるのか、が直感レベルで導けず、パターン総当たりまでやる気もないままタイムアウト
やはりもにょもにょ。
美術館定理は、ぐぐればきっとよい説明が出てくると思うので省略。せ解のみなさんおやみなさい。

■ というかいちばんのみどころは番組の最後の最後だったという仮説

たけしが「コマネチフィールズ賞全員受賞」という温情措置を本気で嫌がって受賞を辞退していたのがなんともチャーミングであった。私(おうる)も今回は受賞者無しか、カメラ 3個では足りないことを実験的に実証していたコマ大数学研究会のみ受賞とするのが筋だろうと思った。
その時点で判断できないことを判断不能として弁別し保留することは、科学者として必要な資質である。しかし、実生活(特にテレビ社会)では、到底判断できないことを無理くり判断することも必要な資質であるのだろう。そういった観点からして中村亨先生は誠にサイエンティストらしい優柔不断っぷりだったし、たけしは実にテレビマンらしい吝嗇っぷりだった。
いいものをみせてもらった。

*1:勘や総当たりっぽい推論を用いると意表を突いた落とし穴の存在により正解に辿り着かない、というようなパターンが好ましい。そうでなくては、数学的に解く甲斐が薄い。…いや勿論、代数的に解く方法が確立していない問題などのほうが魅力的だけどそれはまた別の話。