読んだから偉いは無いにしても、読まないから偉いはもっと無い。

最早これはしつこいを通り越して自己暗示とか自己催眠の領域に踏み込んでいるという気すらしてくるのであるが、私(おうる)は読書をしないし、読書が好きではないし、構造的に読書が苦手である。
そんな私(おうる)が、とりわけ軽蔑に値するとまで思っている類いの読書を敢行したのには、やはりそれなりの理由が(歴史的には)あるのだろうと自己分析している。しかも、2冊*1も。
なにが軽蔑などという穏やかならぬ語を引き出すのかと言えば、読んだのが所謂ビジネス HOW TO 本みたいなものであるという点にある。HOW TO ものとか啓発ものだとか、そんなものを読んで勉強した気になっているぐらいなら、読まないほうがましであって、時間と金の無駄遣い、そんなことは二流の人間のすることだ、という考え。
まあとにかくひどい言いようである。そもそも、三流以下の現在の私(おうる)が「二流」について何を言ったところで始まらないのである*2。外に向けて吐いた批判(というかいちゃもん)は、全て 3倍(当社比*3)になって私(おうる)の頬をはたく。
ともかく、読んだ。でもって、ありきたりで退屈な感想としては、読まないよりは読んだほうがよいだろう、ということと、2冊読むと思索のクロスチェックと強化ができて良いかもしれない、ということである。いかに貧弱な読解力であったにしても、「読む」という行為を通じてなにかしらは引っかかってくる。それがしかも、まったく違う視点から書かれた違う目的の書物から同じ見解を見いだしたとき、それを自分のもの(知識・仮想体験)とするか否かの有力な判断材料となりうる。勿論、相反する見解であった場合もほぼ同様。所謂 HOW TO を鵜呑みにする愚かさを危惧するならば、その最も卑近な対処法としては似たようなカテゴリの異なる分野の本を 2冊読めばいい、ということなのかもしれない。
ただし、いまの私(おうる)にこの読書がなにかしらの意味を持ってくるのかどうかはまったく不明。全然意味のない、強いて言うならば単なるレクリエーションだったという、そういう話なのかもしれない。

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*1:何を読んだのかは数日前の日記を参照するとわかる。

*2:それでも二流は二流だと、そこは曲げない気らしい。

*3:熾火研究所調べ