それを不健康と呼びたいのならそう呼べばいい。

素光さんのところから。

なんというか「日記なんてものを書くような連中はしかしよぅ。」というような空気を(手前勝手に)感じ取ってしまいそのまさに「日記書き」としては決していい気持ちがしないわけだが、冷静なフリをして考察、というか、それほど考えずの感慨レベルのナニカをモノしてみる。

ひとつめの感慨
日記を続けることのできる人は、ある意味「ヒマ」なひとだ。俗に「ヒマな人間ほど始末に負えないものはない」わけで、それが問題行動に繋がることや、自らの身体を蝕んだりすることもあるかもしれない。
この「感慨」に則るならば、「日記書き」と「病み抱え」には同じ根元があるものの両者に直接の因果関係はない。
ふたつめの感慨
日記をつける感性の持ち主はある種の内省性を有する、つまり日記をつけない人々はその逆である種の内省性を欠く、とするならば、自分というものに無頓着な人は自らの不健康性に対しても無頓着である可能性が高い。
この「感慨」に則るならば、日記を書く人が不健康なのではなく、日記を書かない人が不健康に気付かないだけということになる。

ともかく

 日記をつける人は不運を長々と思い煩う傾向があるのか、不健康な人が日記をつけるのか、次の研究が待たれている。

この記事を書いた共同通信の担当記者が日記書き廃人ではないことだけは、ほぼ間違いなかろう。
ってオチはそっちか。