カギの意味するところの一側面

配達された郵便物などを盗むところからはじめるストーカーなんていうのが気になってきたりする今日日、「郵便受けにカギ、あるいは錠(南京錠など)を付けたい、と思う人は結構いるようだ。
しかし、それは場合によっては却って逆効果。カギを付けるということは、「このポストには大事なものが投函されますよ」という意志表示になってしまう可能性があるのだ。
窃盗犯が本気で狙った場合、「バールのようなもの」でクイとやれば大概のポスト(郵便受け)はイチコロ。つくりによってはポストごと盗めばはいさようなら。
いっぽうで施錠するということは「私はこの対象物を守る意思がありますよ」という明確な意志表示となる場合もある。自転車のカギなんていうのは大概においてそうだ。その道のプロにかかれば大抵が不正開錠などお手のもの。最悪、自転車を「よっこらしょ」と持ち上げてトラックで持ち去れば、一瞬で盗難完了。実際、そういった自転車盗難が横行したことがあった。
それでも自転車に鍵をかけるということは*1「私はこの自転車について所有者としての責任を果たしています」という意志表示の意味合いが強いと私(おうる)は考えている。
最悪なのが、カギ(錠)を設置しておきながら施錠しないこと。「私はここ(これ)を守る気がありません」と公言しているようなものだ。
カギとは「開ける、閉める」という本来の機能的側面のほかにも、いくつかの象徴的側面を有する*2。カギというものについて考える際、ここを完全に避けて通ることはできない。

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*1:ほんの出来心、の軽はずみな盗難に対しては勿論リアルな抑止力になっているわけだが。

*2:それらをも含めて「カギの機能」とみなすこともできる。