腹ふくるるわざ

今日は「戯れ言」です。つまんないとおもいます。



同じものごとを同じように記憶する場合においても、人によってその(脳内における)処理手順は恐らく著しく異なる。
私は、音(音楽)以外の情報は、その「もの」や「こと」の理由や関連を考え、一旦分析・解釈してから脳内に格納する傾向が強いらしい。だから、風景を記憶してそれをスケッチするとか、人の顔を覚えるとか、今日出会った人・したことを「今日」というカテゴリで引き出すとか、重要でも離散的な順次情報のようなものを記憶に留めることとか、標準的な知能(知的処理能力)があれば普通にできるはずのことが大層苦手だったりする。
いっぽうで、キーワードから連想される情報を記憶から引き出すと行った作業は比較的得意である。ときどき「なんでそんなこと知ってるんだよ」と驚かれることがあるが、なにかのためになろうか、とか、これを知っていると得かも、といったような「価値判断」とは無関係な状態で格納された記憶がするっと形而下に降りてくるだけの話なので、努力したおぼえはないし、本人的にはすごいことをしているとも思えない。なんでも知っているわけではない、たまたま知っていたことを喋っているだけであるから、ある意味「こらえ性がないだけ」かもしれない。
前サイトではその「こらえ性の無さ」故、私にかかる日常の「よしなしごと」をずるずると書き連ね、結果、危険人物扱いされた。勿論、私も悪かったと思っているが、悪かったと思うが故なおのこと、ショックは大きかった。心臓は 1日中早鐘のように打ち続け、瞳孔は開き、明らかに「異常」な状態が続いた。いまも完全には払拭できてはいない。
いわばセルフリハビリテーション中。
べつに、腹は膨れない。(言いたいことを我慢していると胃腸に空気やガスが溜まりほんとうに「腹ふくるる」のだ、という説もあるそうだ。…余談ながら。)世の中には、おなかにしまっておかねばならないことがあることぐらいは常識として知っている。私は、同じ過ちを繰り返すことはないだろう。…しかし、いま私は、言葉にならない、言葉にできない思いに体内を満たされている。悪魔のようなシアワセと、甘美なることこの上ないフシアワセが、渾然としているような…。苦しい。でもキモチイイ。この先には一体なにがあるのだろうか。なにもないかもしれない。それでも私はこの広い世界の片隅に送り届けられた一輪の花を、そっと握ったまま歩いてゆく。
そう決めたから。