エゴコロを刺激されるとき

owl2003-04-27

私(おうる)は、昔から絵を描くのが苦手だった。頭の中で思い描いているものがそのまま目の前の紙に表現できないことがストレスになる。いつからそうなったのか…小学 2年生のときには、図画工作の時間、白い画用紙を目の前に、ただひたすらじっと過ごしたこともあった。
小学 4年のときに教わった老獪な図工の先生は、私(おうる)の作品をえらく気に入ってくれたようだった。「こんな絵のどこがいいのだろうか」などと思いながら、仕事の早かった私(おうる)は言われるままどんどん描いた。でも、なんとなく突き抜けない思いは残った。
一時期はスクリーントーンを買ってイラストめいたものと取り組んだこともあったのだが、結局、なんとなく苦手意識の残ったまま、私(おうる)は絵を描かなくなっていった。バードウオッチングをはじめとする自然観察では「絵を描くつもりで見る」「個体数を数えるつもりで見る」の 2つが鉄則であり、これはナチュラリストを指向する場合ある意味ハンディキャップとなった。
小学 6年でカメラを手にしたとき、世界が少しだけ変わった。20歳を過ぎて一眼レフカメラを手にしたとき、さらにもう少しだけ変わった。自分の視界の一部を切り取るおもしろさ。でも、それは、絵を描く作業とは本質的に違う。私(おうる)は、実はものをよく見ていない。だからこそ私(おうる)の撮った写真は、自分にとっては、おもしろいものとなる。これでは、絵など描けようはずもないかもしれない。
それでも、あこがれみたいなものは捨てきれない。だからこそ私(おうる)は、何を言われようともデジカメを常に手放すことができない。
デジカメを手にしたとき、世界がまた少しだけ変わった。目に触れるものにナニカを感じたとき、その思いの断片を昇華するすべを、私(おうる)はひとつ得た。