De ja vu ではなかった。

高輪一丁目児童公園(魚籃坂裏)

土曜日なのに鼻炎出日。 (ビエンズディと読む。苦しすぎ。といっても鼻が、ではない。) |



ヨコハマ買い出し紀行」(ASIN:4063210502 ほか)をぽつぽつと手に入れて、ぽつぽつと読む。別に順序どおりでなくても、あとのほうの巻が先になっても、私(おうる)はあまり気にしない。脳内で再構成したり、必要に応じて読み直したり、ふと読んだときに改めて繋がったり、といった過程もまた楽しいものだ。「ヨコハマ買い出し紀行」は、とりわけ、そういう読み方の比較的しやすいおはなしである。
読んでいると、妙にどこかで見たことがあるような気のする絵(カット)が、ちらほら。…ほう、世に言う「デジャヴ」というやつがまた来ましたですか、と思ってはみたものの、どうも今まで感じた類似体験とは舌触りが異なる。因みに私(おうる)には予知系の能力は全くない。それでもデジャヴの経験は何度もある。今回のそれは、今までのそれらとはなにか違う。
…違うはずだ。これはデジャヴではなかった。「月刊アフタヌーン」を立ち読みしていた頃、実際に目にしていたのだ。前世紀の話である。しかもその頃は何を読むでなくパラパラと眺めていただけだから、印象も薄かったのであろう。
そんなわけで、よりデジャヴっぽく演出されていたのだがそれは単なる「再会」であった。それはそれでちょっと嬉しくもあったり。

デジャヴ(de ja vu):既視感。初めて見る光景のはずなのに、以前にも見たような気がする感覚。ほとんどのデジャヴは医学的に解釈可能であるという。記憶の入出力作業の際、あるいは記憶の関連付け作業の際の混同(またはミスダイレクション)がその原因であるらしい。
初見であるはずの光景に懐かしさや親しみを感じること自体は、生物の生存戦略の範疇として理解が可能である。