語彙は拡散し、また収斂する(なんてことを考えながら)

なんのコンテクストもなしに「ステンレス」と言った場合、これは何を指すであろうか。
遥か昔に TV で(簡単に)紹介していた「machine」という語が各国語で何を表すか、という蘊蓄がおもしろくて印象に残っている(という話は以前も書いたかもしれない)。単に「machine」と言った場合、世界の言語では多くが「自動車」の意味になるそうだ。コンピュータが「machine」である文化もある。場合によってはそれは「machine gun」であったりする。…印象に残っているとか言った割には他をほとんど覚えていなかったりするのだが、では日本では何か。「ミシン」である*1、という話。このへんに関する社会学的考察は割愛。
ともかく、言葉は便利に使われてこそなんぼである。多少合理性を欠こうが強引だろうが、力強いものが生き残る。このあたり、生物の進化や繁栄競争を彷彿とする。
で、ステンレス、本来はステンレススチールである。世の中に酸化しない物質など存在しないと言っても決して過言ではないのだが(と言うと本当は嘘になるが)、(人間のライフスパンで)錆びないものなど世の中にいくらでもある。でも英語で「錆知らずの」といえば、普通はステンレススチール合金のことを指す。
しかし、とりわけ家庭内においては、「ステンレス」はさらに狭義の語彙として用いられることがある。それは、流し台のことを「ステンレス」と呼ぶ場面である。(特に、ちょっと昔の人。)
「このコップどうする?」「ああ、ステンレスに入れといて、あとでまとめて洗うから」
充分通じる。
共通して言えることは、革新的な技術や事物が新鮮な驚きをもって人々に迎えられたとき、その事象には広義の語彙、若しくは概念的な語彙が与えられる傾向にある、ということである。
…だから特に何が言いたいというわけでも無いのだが、熱湯を注いだとき割れないガラス器とか、「ぼんっ」って言わないステンレスとか、いいんだけど、ちょっと淋しいよね。

*1:Sewing Machine の machine が転訛してミシンになった。これはほんとう(らしい)。