商店街の文具店

以前、地方都市に逗留したとき、夕食(定番はファミレスである)の帰りにのんびり歩いていたところ、都心では考えられぬほど早く閉まった商店街で、(ほぼ)唯一、開けている店があった。「酒屋だろ」と思った人はかなり正解に近い。そう、昔から酒屋は随分遅くまでやっている店のひとつだった。理由はいうまでも無かろう。そして、今日日、酒屋があまり遅くまでやっていない理由も敢えて書くまでもないような気がする。
実際に開いていたのは酒屋ではなく、薬屋だった。なるほど、地方都市ならではなのかもしれないな、と思った。チェーン店でもないそうしたお店が開けているということは、ニーズがあるということだ。子供が熱を出した。頭が痛い。腹が痛い。薬もない。頼れる人もいない。救急病院に行くほどでもない。どうしたらいいかわからない。そんなとき、とりあえず薬屋さんが開いてたはずだから行ってみよう、となる。(あ、あと「所謂性的な意味(略)」もあるかもしれない。)勿論想像の域を通り越してこれは妄想でしかないのだが、静まりかえった路上に唯一煌々と灯りを落とすその印象は、使命感、というような概念以外に思いつくものがない雰囲気であったわけだ。少なくとも私(おうる)の目には。
場面も年次も変わって、都内のとある商店街。その文房具屋さんは、朝8:00 にはシャッターを上げる。そして、平日なら、夜19:00 になってもシャッターは半分開いており、店内の雰囲気は営業中をアピールする。何故、そんなに早くから遅くまで開いているのだろうか、という問いは、愚問であろう。今日日ははさみ・のり・けしごむ・ボールペンといった基礎的な一般事務文具ならコンビニで 24時間入手可能である。でも、絵の具の赤は、コンビニでは手に入らない。工作用紙も無理。鉛筆だって絵画用の 4B は無理だ。じゆうちょうも不可能。
偉いな、と思った。
でも反面、へんな世の中になったものだ、とも思うわけだ。このゆとりの無さ加減はなんだろうか。