小飼弾さんといえば

潔癖性なのに「片付けられない症候群」に陥ってしまう人々とか、石川啄木みたいなぐうたらとか、繁盛しないのはまずくて高いからだ、と誰しもが気付くようなラーメン屋のおやじとか、いじめられても、いじめられても、ただ薄笑いを浮かべているだけの少年とか、「死ぬ気になれば人間なんだってできる」と言われたって死ぬ気にすらなれないんだからなにも始まりはしないというような、「一度きりの人生になにやってんだ」的な人種は昔からいたわけであって、その人数や比率は「社会システムがそういう人種を(数量的に)どれだけ支えることができるか」にかかっている(溢れたぶんは死ぬ)というだけの話だから何を今更、という感が拭えないのだが、そういう人種がなぜ(焼く前のもんじゃ焼きを焼かぬままにしているような人生を)生き続けているのか、みたいなことは、たぶん彼には一生わからないんだろうな、と思う。
遅蒔きにしても「そういう人間が、いる。」という事実に気付いたことに意味が無いとまでは言わない*1。だからといって、気付き、考えることに意味があるよ、とも言えない。

*1:ただまあ、「そういう(わかってない)人間」がこういう文章を書いていることについて若干苛立ちを覚えなくはない。