心の目というもの。心の根というもの。

どこで教えてもらったのかは忘れてしまったが、ブログをひとつ御紹介。ブックマークなどを見る限り、私(おうる)がどうこう言うまでもなく既に有名ブログのようではあるがそこはそれ。

様々な観点からして、素敵なインターネットコンテンツというのは数多あるわけだが、限られた時間と資源の中でその全てに触れることができるわけではない。また、100人中100人が素晴らしい、内容には文句の付けようがない、と言うようなものだからといって大の大人が優良な絵本や児童文学だけ読んでいたらおかしなことになることからもわかるとおり、普通の社会的人間はやさしい著作物ばかりでは生きてゆけない。
批判的で斜に構えている攻撃性の強い文章だからといって、そこにやさしさは無いのかというと、そんなことは無いというのも、ある意味言うまでもないことではある。
知らず知らずのうちに我々はシビアな選択を強いられている。それに気付いており、且つ、ある一定以上の能力を有するひとたちは、だからこそ、狂ったように文章を読み、本を読み、新聞を読み、雑誌を読む。私(おうる)のように「ものをよむ」という能力を病的欠損により著しく欠く人間(または危機感に乏しい人間)は、仕方がないので、能力者が慈善の心や酔狂でもたらしてくれた「要約」を読み下し、また、偶然や勘に頼る。
当然だが、気付いた頃にはその差は歴然としている。
私(おうる)のように呑気な人間は、いつ、どこで自分がドロップアウト(落伍)したのかも、しばらく気付かずにいるわけだ。錐揉みにでもならない限り、自分が上昇していないことに気付かない。そして、地面に腹をこすって初めて、自分がしていたのは飛行ではない、滑空であったと思い知るのだ。いちど止まったエンジンは、もう回らない。
余談はともかく、「街でみかけた書体」である。文字通り(書体だけに、文字通り)街中で使われている文字の書体名を、そのいわくや画像などとともに紹介している。まずもって私(おうる)のような人間にとって不思議なのは、どうして見ただけで書体名までわかるのか、ということである。「○○という文字のどこそこが特徴」という具合に判断材料の断片は記事の中にも書かれているのだが、なんのことあろうか。その説明を見たところで、街中の書体がわかろうはずもないのだ。しかも、文字をペンキで再トレースしていたり、縦横比をいじってあったりしても、見分けはつくらしいのだ。
世の中の事象は、重要と思われるものを選別したとしても、当然ながらテキスト化・記事化されているものばかりではないし、むしろそうでないもののほうが多い。「よむ」ということにはこれらも含まれる。おそらく、「街で〜」の筆者氏は、仕事の必要に迫られつつ、来る日も来る日も文字を「よみ」続けてきたのであろう。結果、一瞥のうちに書体の特徴を捉え、判定する「眼力」−そしてそれはむしろ「心眼」に近い−を獲得したものと思われる。
しかし、ここまでなら「へーすごいねー」で終わる。そういう「一芸に抜きんでた人」なら、毎週毎週、TV チャンピオンを観れば拝することができる。その道の達人は見ていて気持ちのいいものだし、その持ち芸によって人に感動を与えることができる。でもそれはレギュラー番組を作れるぐらい、世に数多いるのだ。(勿論ここでは私(おうる)がその達人の端くれにすらなっていないという事実については気付かなかったことにしておく。)
マニアックなフォント談義のなかにあって、私(おうる)が最も打ちのめされたのは、実はこのエントリだ。

細かく解説する気はない。というかうまく説明できる気がしないので端から投げているのだが、要するに言いたいのは、例えばもし私(おうる)も書体の達人で、ぱっと見れば何という書体なのかおおかた見分けがついて、なおかつ JR の改札機に使用されているフォントが何であるのか気付いた、でそれをブログに書いたとすると、どんな文章になるのか。まあ間違いなく、まずは使用書体をけなすであろう。次に、デザイナーを批判するであろう。そして、「私ならせめてこれこれこんなフォントか、あるいはこんなのつかうかナー」などということを書くだろう。でもって余計なひとことふたことでも添えて、文を締め括るだろう。
こう書いていてほとほと自分が嫌になってくるのだが、リンク先を読んでいただければわかるとおり、「街で〜」筆者氏の文章は、そういう類いのものでは、ない。
他のエントリもそうだ。文章力とか、技術とか、そういう問題ではない。読めばわかる、文のその土壌の下に流れる澄んだ水。文のその上を吹き過ぎゆく風。心根の問題だ。性根の問題なのだ。
それでは、と翻ってみるに、私(おうる)はいままでいったい、何をやってきたのだろうか。
今更悔いたところでどうなるものでもないことぐらい、わかっているけど。

■ 後日追記

やはり、と言うべきかなんと言うべきか、「街で見かけた書体」の中の人は、プロのフォント作家(書体デザイナー)さんだったようだ。…なるほど(、と言うべきかなんと言うべきか)。