あのねぇ、そこが問題なんじゃあないんだよ。

仰げば尊し」が何故、卒業式で採用されなくなったのか。それは別に「我が師の恩」が恩着せがましいなんていうゆる〜い理由ではない。卒業式にしても謝恩会にしても、我が師の恩が尊くて別段の問題は無いはずである。(だって卒業式にしても謝恩会にしてもそもそもそういうイベントじゃないの?) ドラマをつくった人か脚本をつくった人がわざと茶を濁したのか、それともほんとうに不勉強なのか、それは最早どっちでもいいことだけど、どっちにしても格好のいい話ではない。こういうつまらない「すり替え」に「ふーん」とか「へぇー」とか言ってしまってはいけない。
実際に問題とされていたのは 2番の歌詞。「身を立て名を上げ やよ励めよ」の部分である。
なんでそれが問題なのかはここでは書かないし、それの問題性がわからない人には、問題視する必要もないものなのでいずれにせよ同じことである。ともかく、そういう歴史があったということ、そういうのに過剰に反応する人がいるということ、教育現場という名の「現場」はそういう「心情」に配慮するものであるということ、肝心なのはこの 3点である。
私(おうる)はといえば、歌うという行為について普通の人とはちょっと異なる複雑な感情を持っているので、歌えといわれても歌わないことが多々ある(あった)。しかし、総論では歌で気持ちを表現したり儀式を締めたりすることについて何らの異論もない。だから「仰げば尊し」をドラマの中で象徴的に使うことについて、それがどうだとも思わなければ賢明かつ効果的な演出だとも思わない。個人的な経験では、母校の卒業式で定番となっていた「ハレルヤ」の大合唱が「宗教的理由」とやらを楯にした変梃なクレームで廃止になってしまったのはとても残念だった。「そんなことを言ったら「大地讃訟」も歌えないじゃないかねぇ」と、合唱部の面々はぼやいていたものだった。
話がそれたが、教育論争などを一部で再燃させたらしい例のドラマは、「小学生の子役たち、かわいいねぇ」という鑑賞法がいちばん正しいみかただったらしい、ということを、なんとなく思った。とは言っても私(おうる)はほんの少々チラ見していただけなので、本当のところはよくわからない。
どっちにしてもいま現在の私(おうる)は自分の殻の中のことだけで充分手一杯なので、子供の教育とかしつけとか、そういう方面について考察するゆとりがない。