スーパーの白い袋から突き出た一束の葱の象徴するそれは、あたかもバケット(フランスパン)の記号化されたそれに似る。

説明略。
…と思ったのだけれど、このままでは多分書いた自分ですら 3ヶ月後には意味不明解毒不可能となっているであろうことが想像に難くないので、ざらっと解説。夕方かあるいは夜、(恐らく)兼業主婦である女性の手から提がるスーパーのあの白いポリ袋から突きだした葱は、ほぼ間違いなくその日のうちに調理に供される。葱を買い置くという発想は常識人の中には無い。そして、葱を朝に食するという習慣は普通の日本人の家庭ならまず無く、従ってその葱はその日の晩の食材である。さらに言えば、その料理は鍋系のものであると思って 8割方間違いがない。
つまり、葱が象徴するのは、家庭というミニマムな社会構成単位におけるその日の晩の極めて家庭的なる出来事である。
袋から突き出るという点で類似性の高いものがバケットである。しかし、こちらは現実問題として突き出る「必要」はない。葱という植物のその長さは成長の証であり、これを折れば傷むし、まずくなる。バケットの場合は、長さとその味に決定的な関連性がない。バケットを長いまま食する人間は少ない。その長さはバケットという「記号」である。その先端をはみ出させるという行為は、記号化されたプレステージにほかならない。
葱とバケット、その先端が主張するものはある種の小さな誇らしさであり、その意味で両者はよく似ている。しかし、その中身はまったく異なる。

やっぱり書かないほうがよかったような気がしてきた。