個人と日記と、組織と社会と。

サイコドクターぶらり旅(2005/01/14)経由。

ニュース記事は流れるので、全文クリップした blog アートをリンク。→仕事のことをブログに書くということ*1
ええと、私(おうる)は医療関係者ではないのだが、個人 web サイトに日常のあれやこれやを書き、仕事がらみの話も書き、結果、その仕事を辞めざるを得なくなった過去があるので、単純な個人的感想としては、正直なところ今回のニュースは「ひとごとではない」。
医療や、あと教育とか、そういった職業においてはとりわけ「ひとさまの人生を直接預かる」わけで、その意味において今回の話はニュース記事になってしまったりするのだと思われるが、そんな職種に拠らずとも世の中には「ひろく吹聴すべきでないこと」などたくさんある。守秘事項、顧客情報、業界特有のノウハウ、因習や約束事などそれはさまざまだ。そんななかには正直なところ、この情報化社会においてよくもまあ保たれているものだ、というようなしょうもないものだってある。馬鹿馬鹿しくて話にならないようなくだらない枷など、いっそのこと(「俺*2」が)ぶちまけてこわしてしまいたいという衝動に駆られることだってあるだろうが、それをやってしまうとその業界では生きていけない。
また、医療関係にとどまらず、人間を直接相手にする業種は枚挙に暇がない。というか主たる業務内容としてなんらかのかたちで人と接する仕事ということでいえば、ほとんどの職業がこれに当てはまる。そうした仕事において御客様、相手先、その他との摩擦なんて日常茶飯事であり、それを悪意のみえるかたちでひろく吐露すれば組織の信用に傷が付く。それはどの業界であろうとかわりがない。
(仕事の性質上、医療関連とそうでない業界では深刻さとかインパクトなんてもののの多寡はあるのかもしれないと想像はする。)
従来、個々人の声が限りなく小さかった頃、ひとりの人間が声を荒げたところで社会に対するインパクトは事実上無かった。そんなものはなんの脅威でもなかった。しかしいまや、誰しもが不特定多数にひろくメッセージを発信する手段を持つに至り、そしてまたそれが(ある意味「信頼に足る」)インフラとしてとしてひろく認知されるに至り、個人の発言が約束事もろとも組織や社会そのものを破壊しかねないインパクトを持ちつつある。企業や団体の責任者はそれを脅威と捉える。
だから、私(おうる)のような個人は、そういうインパクト(と管理側が考えるそれ)を既に手の中に納めているということを意識しなければならないのだな、と、改めて思った。
これは自意識過剰ではない。あの頃の私(おうる)が呑気すぎただけだ。そしてたぶん、問題の医師も。その代償は決して小さくない。

追記

もう少し詳しく読める blog があった。

ううう…。

*1:女医ななこのひとりごと2005/01/15

*2:一人称の個人という意味であって必ずしも私(おうる)を意味しない。