こういう考え方もある、ということで敢えて。

やや遅ればせながら、Jubilee さんの提示:id:Jubilee:20040615#1087325466 について。既に id:sugio:19700129#p1 さんによってテクニカルな適切回答が示されているわけですが、私(おうる)は全く別の切り口から考えたいと思います。
正直なところ、日記をキーワードから手繰って読むときには、あんまり過度の期待を抱かずに挑むのが通常です。その単語(あるいは「語」)が自分(読み手)の意図した使われ方をしていないこともかなりしばしばですし、自分の反対の見解など、予想以上に同意できないことが書かれていて少々がっかりすることもあります。
それでもキーワードを辿ってみることがあるのは、どちらかというとキーワードは 2の次、…いや勿論、「その語を文中に使用して日記を書いている」というモチベーションは非常に重要なわけですが、むしろ国立科学博物館に興味のある俺様だけど近くまで来たついでだから東京都美術館の特別展でもさらっと見ていくか、といったある種意外で気まぐれな展開としての広がりを求めるきっかけみたいなものとして考えます。
勿論そうでなく、純粋に合目的的な人もいるでしょう。それでも、読む側の心理からすれば、過度の期待は抱いていないはずです。実際、キーワードを手繰っても何も関連記述がなかった場合、知らない人の日記なら「なんだ、書いてすぐ消しちゃったのかもね」ぐらいに思い、知っている人のでも「ああまだ(あの人のことだからね)準備中(下書き)なのかな」ぐらいにしか思わないでしょう。
言を選ばずにいえば、ならば渾身のテキストを書いたからといって読者の心に届くとは、限らないのです。読む側の目を意識して気負う必要などどこにもないと、私(おうる)は考えます。書きたいものを書きたいときに、書きたいだけ書けばそれでよいでしょう。
結論。キーワードリンクによる多少の誤訪問など、別に気にしなければよいのです。簡単。
…やっぱ乱暴ですか?