何を読んだか、よりむしろ、どんないきさつでそれを読んだか

今までにも何度か触れてきているが、私(おうる)は本を読まない側の人間である。図鑑や、辞典や、絵本の類いはずいぶんめくった記憶があるが、まっとうな読書はといえば、その都度避けて、避けて生きてきたような気すらする。
そんな私(おうる)が読んだ(数少ない)本のうちの一冊。

正味な話、今更読むに足らない黴の生えたような「道徳」的小話満載の短編集である。事実、小学校の道徳の教科書(そういうものも実在したのだ)にこの本から一編が引用されたりしていた。ただでさえ読書と縁遠い私(おうる)にしてみれば、本来であればもっとも最後に読まれることになるであろう一冊であったはずの本書を、何故私(おうる)が手にするに至ったか。
それはこの本に掲載されている「ミヤケ島の少年」というエピソードのため。ひとりの少年の好奇心・向学心・研究心が大噴火への危惧に揺れる三宅島を救った…という実話なのだが、私(おうる)も「その後の少年」に期せずして出会っていたりしなければ、まさしく、同じ時期に同じものを読んだとしても何事もなくスルーしていたかもしれない。
少年は、大学の助手として我々の前にいた。もっとも、その姿は「定年退官を間近に控えた眼鏡に小太りの飄々としたじっちゃん」とでもいうべきものであったが。
妙な思い出は、思い出すほどに次々と出てきそうだ。耐用年数をとうに過ぎて今にも壊れそうな地震計がなんとか動き続けていたのは先生(と、先生に仕込まれた学生たち)のおかげだった。ガラクタでうずもれそうな研究室の机の下には何年前から漬けてあるのか知れぬ果実酒の広口瓶があった。大型のはんだごてで何をしているのかと思えばどっかから拾ってきた真鍮製の噴霧器を修理していたり。学生実験(屋外)で使用する木杭を作るのに使用していた鉈を突如「ほいっ」と空中で回してキャッチして見せたり。理学部4号館の脇にアシタバを植えたのもたしか浅沼先生だった。私(おうる)に英国「ANTEX」のはんだごてを薦めてくれたのも浅沼先生だった。
私(おうる)にとっては、実物のほうがはるかにおもしろかった。読書はほんの色づけ、味付けに過ぎなかった。勿論そのスパイスが甚だ効果的に作用している事実は否定しようがない。
「動機は不純であればあるほど良い」が信条のひとつである私(おうる)にとっての読書は、大概においてそんなような位置付けであるようだ。