師匠の教え

私(おうる)は文章を書くのが比較的好きである。しかし、生来の性格から、思い込みが激しく視野狭窄、さらに注意力散漫であるため、完璧な文章を一発で書けた試しがない。ついでにいえば、モノカキとして最低限必要な「読書」が構造的に苦手で、文章を読むという行為が日常に組み込まれていない。このため圧倒的に読書量が少なく、モノカキはおろか通常の社会人(常識人)としても危うい(脆うい)のではないかというレベルの致命的ハンディキャップを背負いながら、私(おうる)は文章を書いていることになる。
そんな私であるから、小中学校の頃「作文」は嫌いだったし(まあ正味なところ「大好きだ」という人のほうが稀有だったようには思うが)、高校に入ってからも受験対策の「小論文」が億劫だった。しかし、かつて私(おうる)が「師匠」と読んでいた、地学の先生の教えによって方向は 160゜(くらい)変わった。
「師匠」は、「いい文章を書け」などは一言も言わなかった。そんなことが私達アホ生徒にできるわけもないのをよく知っていたので、そんな無茶は言わなかった。そのかわり、「眼前のその壁を乗り越えるためのテクニック」を伝授してくれた。

  1. 必ず最後の行まで埋めよ。
  2. 段落改行の際、最後の行は空マスを半分以上残すべし。
  3. 漢字をバランスよく配置せよ。多く使いすぎてはいけない。

曰く「読む側はおんなじようなのを 1日に何十と見るわけだ。そんなときに、びっしり漢字だらけの黒っぽい原稿用紙を見たら、それだけで読む気を無くすだろ? 小論文で名文なんか書けるわけないんだから、読む側が読んでやろうと思うようなパッと見の雰囲気を作らなくちゃダメだ。」
はぁ〜などと思いながら一応真に受けてみることにしてゲーム感覚で少々取り組むうち、レポート文章の書き方に関してはなんとなく判ったような気がした。一旦そう思い込んでしまえばあとはさほど苦もなく、いつの間にか、空白を文章で埋めることがほぼ自然にできるようになっていた。
こうして今に至る。とりたてて合目的的な文章を書く必要に迫られたこともなかったので、微妙に癖のある変な文章がスタイルとして染みついた。
1分後に 2004年を迎える今、いろいろなことをとりとめもなく考えながら、きっとこの先も同じようなスタイルで書いてゆくんだろうなぁ、などと。
オチが付かないまま。