浮かんでは消え

課題が出る。むかむかした気持ちになりながらも、一応いろいろと考える。考えて、アイデアを出す。出てきたアイデアのほとんどは泡のように漂い、そのうち消える。ときたま生まれ出ずる「鬼子」は、他の「泡」とさしたる違いがあるわけではない。ただ、生まれた直後に頭の中でなんらかの「意味づけ」がされたという、それだけのこと。
混沌や朦朧のなかからアイデアを抽出するのは主に無意識の仕事。これを取捨選択し、実現可能なかたちにまで昇華するのは主に意識下(論理的思考)の仕事。であるから、くだらないアイデアを沢山出そうとするときには、思考の焦点が意識の狭間を行ったり来たりする。
そんなわけで、形而下に降りてきたアイデアは一定の合理性を持っているかというとそうでもなく、論理的思考によって生じたわだかまりとか固定観念、法則性の見いだしなどによるバイアスを受けていることしばしばである。

「なんで亀」といわれても、なかなか説明はできない。



ぬるい朝風呂に浸かりながら思索を巡らせていたら眠くなってしまい、そのまま半開状態で「思うにまかせ」てみたところ、意識を残したまま夢をみているような状態になった。
聞いた話によると、女性では「意識が介入できる夢」をみることができるという人が少なからずいるそうだ。しかし、男性では珍しいという追記:「男性のほうが比率が低い」だったかもしれない。ただ私(おうる)は「有意差がある」と聞いたような気がするのは確か←「気がする」と行っている時点で既に「不確か」なのだが。今回の私(おうる)の体験はこれとは少々異なるものではあるが、いままで経験したことのないものであり、なかなか不思議な心地よさがあった。
因みに私(おうる)は「自分の意志を反映できる夢」や「これが夢であると自覚していながらみ続ける夢」というのは経験がない。
さらに因むと、よいアイデアは出てこなかった。残念ながら。(無から有は生まれないようである。)