血液型別性格診断、あるいは血液型占いに関連して

日本人ほど、血液型占いが好きな国民も珍しい、らしい。(真偽の程は定かではない。)更に言えば、日本人ほど自分自身の血液型を知っている国民も珍しい、らしい。(真偽のh(以下略)。)
こういった表*1を見る限りにおいては、少なくともメキシコやグアテマラにおいては血液型占いは成立しなさそうだ。
ただし、「優勢な血液型と国民気質」について言及する可能性まで否定するものではない。確か筒井康隆が、「日本人は A型気質、中国人は O型、韓国人は B型気質である」というようなことを書いていたような気がする。
「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」(10月31日)に「多様な人間をたった 4つに分類できようはずも無かろう」という方向からの「血液型別性格診断への批判」を「再批判」したアートが掲載されている。これは私(おうる)も以前から常々感じていたことで、4分類が問題なのではないという議論は大いに賛同したいところである。
ポイントは上掲リンク先を読んでいただければ充分なのだが、敢えて御託を並べてみる。
4つで少ないのなら、一体いくつならば批判者は納得するのだろうか。「亥年は猪突猛進」などという「十二支別占い」なんかどうだろうか。十干も含めて「干支」で分類すれば 60種、申しぶんない。
以前、女性誌だったか、父親、母親と本人、即ち 3人の血液型、更に本人の性別をもって性格を分類する、という壮大なアートを見たことがある。分類数は 43×2-4 で、実に 124 。このアプローチは例えば「神経質な異性の親に育てられると神経質になる?」などといった仮説を検証するきっかけをもたらすなどの点においては非常に示唆に富んだレポートであったと言えるが、分類数があまりに多すぎるためポータビリティを著しく欠くのであった。
私(おうる)の経験上、血液型別診断を「たった 4つに括られてたまるか」と批判する人に限って、もっと分類数の少ない観念に呪縛されている傾向が強いように思える。
その分類とは、「性別」。世界の人間全てをたった 2つにざっくりと切ってしまうこの分類を無条件に信奉する人は少なくない。(私(おうる)は未読だが、そういった本も出ており(e.g. ASIN:4072352179)かなり売れたりしているようだ。) 勿論、世界を「男」と「女」の二元論で議論すること自体が問題なのではない。
「日本人のうち 2500万人は俺と同じ性格ってわけ?」などと語るその同じ口から「女性の運転って危なっかしいよなぁ」なんて言葉が出てくるのは、最早滑稽ですらある。

*1:リンク先変更しました。【2005/12/10】
→URL 変更になっていたようなのでこちらも変更しました。念のため WebArchive から発掘してきたものはこちら。http://web.archive.org/web/20051023063401/http://www.abo-world.co.jp/databank/worldmap.html【2007/04/04】