日記の中のセクシャリティ

「男もすなる日記というもの、女もしてみんとて、するなり。」
…と記したのは、紀貫之(♂)という話。 ま、そんなことは正直どうでもいい。
主にはてな界隈で他人様のものした日記を拝見していると、たまに、書き手さんが男性なのか、女性なのか、にわかに判別できない文章に突き当たることがある。正直、単純に日記を読む際に書き手の性別はあまり重要ではないのだが、個人の日記の醍醐味のひとつはその書き手のパーソナリティの表出(滲出)にあり、故に各人の重要なパーソナリティたりうるジェンダー乃至セクシャリティといったようなものが日記内でどう表現されているか(あるいは、されていないか)は、私(おうる)が日記を読むうえで意識を向けるポイントのうち重要な一角を占める道理である。
性別がわからない日記にもいくつかの種類がある。敢えて性別に関わる記述や表現を避け、中性的を心がけているもの、敢えて異性的な表現を多用して撹乱しているもの、意識せずとも異性的な表現の出てしまっているもの、意識せずとも性別に関わる情報が記載されないもの、等々。逆に、性別に関する情報を意識的に出している日記も少なくない。ポジティブなものであってもネガティブなものであっても、それらの「情報」から事実を読み解くのはなかなかおもしろい作業である。
勿論、日記の文章からその人の血液型を推定したり、「動物占いではタヌキ?」とか推測したり、ということも可能なわけだが、なにしろ性別は一応 2つしかないことになっているので、推理ゲームとしては単純で取り組みやすい。
こうしたなか、私(おうる)はあるひとつの仮説に到達する。
仮説:書き手の性別がいまひとつ判然としない日記は、書き始めの頃の日記になにかしらその手がかりを残している。
理由はわからないが、どうもそういう傾向があるのではないか、ということを私(おうる)は感じている。…果たして、どうだろうか。