雛鳥を見かけたら…(というか、見かけたので。)

owl2003-06-27

会社の人が、「どうしよう、これ〜」と、そっと腕に載せてきたのは、スズメの巣立ち雛だった。
雛とか、子供とか、幼いものは、基本的にかわいく見えるようにつくられている。本能に訴えて、庇護を受けやすくするためである。この「かわいい」の基準は、かなりのいきもので共通である、ということが、非常によくわかる。(だからこそ、アヒルの雛を犬が育てる、なんてことも起こる。)

   …かわいい!

で、つい手にして、拾ってきてしまう気持ちもわからないでもない。だが、連れてきたところで、雛鳥をそのまま育てることは非常に難しく、哀しい結果になることがほとんどである。地面近くでうずくまり気味にぴーぴーと鳴いていれば、なんとかしてあげたい、助けてあげたい、と思うのも自然なことである。だが、ここで勘違いしてはいけないのは、その子が呼んでいるのは(人間の)あなたでも、あなたの助けでもないということだ。
スズメの巣立ち雛を目にしてよくわかること、それは、なにを怖がるか、ということが、全くもって後天的に獲得されるものである、ということだ。雛は人間を恐れない。「怖いもの」だとは少しも思っていないのである。だから、おとなしく人の手の中に収まり、つぶらな瞳をこちらに向ける。
巣立ったばかりの子たちは、人間も、自動車も、天敵のカラスやネコだって怖がらないから、危険がいっぱいである。だからといって我々人間にできることといったら、そうした危険が少なく、且つ、親鳥にとっても安心であるような場所にそっと戻してやることくらいしかない。まだ飛べなさそう、心配、というむきもあろうが、飛ぶことに慣れていないだけでほんとうに飛べないわけではないケースが多い。それはそうだ、生まれてはじめて飛ぶのだもの、疲れもするだろうし、自在にとはいかないから億劫だろう。(鳥だって幼い頃は甘えん坊でだだっ子である。)これを親鳥が導き、教えていくのである。無論、なにを怖がるかといったようなことも、親鳥が身をもって教えるのである。(または雛自身が身をもって覚えてゆく。)
おもてに出ると、雛は盛んに鳴き始めた。それに呼応するように上のほうでスズメの成鳥が鳴いている。当然であるが親鳥にとって人間は恐怖の対象であるから、このままでは近寄れない。植木の根元にそっと放し、その場を離れる。すぐさま親鳥が近くに舞い降りた。あとは、親鳥にまかせるしかない。よく「人間のにおいが付いてしまうともう駄目」とかいうが、鳥類に関してそういう心配はまず無いと思う。
私(おうる)は見ていなかったが、遠巻きに眺めていた人の話によると、その後、親鳥が雛を安全な方向へと誘導していったそうである。もし、雛に巣へ戻るだけの飛翔力がなければ、近くで子育てをそのまま続行するらしい。無問題(モウマンタイ)。
一件落着。



懐かしいなあ。光が丘公園のバードサンクチュアリでレンジャーをやっていた頃のことをありありと思い出したよ。今、あそこはどうなってるんだろ。私(おうる)のつくった「OPEN:」の看板は、今でもあるのだろうか。(無いだろうな…)

閑話休題。「くちばしが黄色い」というのは、まだまだ半人前、ということのたとえとして用いられる成句だが、これはスズメやシジュウカラなどの雛鳥のくちばしが黄色いところから来ている。
というわけでおまけのもう 1枚。

元気に生きていってくれるといいな。