化石化に立ち会う

owl2003-04-16

いつの間にか夜も更けていた。今日はストックしてある蘊蓄のひとつでも置いてさっさと寝ようと思った。



NTT の電話サービスで紛らわしいのが「時報」と「天気予報」である。「177」と「117」、どちらがどちらか、非常にわかりにくい。時計を合わせたくてかけたのに、「東京地方の…」とくると、「そんな先のことはいい、今この瞬間のことを教えてくれ!」と言いたくなる。天気を知りたいのに「只今から 3時 15分 20 秒を…」などと機械的な声で言われた日には「そんな細かいことはいいから!」などと言いたくなる。間違えたのは自分なのに。しかも、一般加入電話の課金単位は 10円であるから、すぐ切ってしまうのも勿体ないような気がする。そこで、聞きたくもない「明日の空模様」を、「上の空」でとりあえず聞いておいたりする。
そんな間違いをせずに済む「裏技」がある。これを覚えるだけ。

時報は「ピッ・ピッ・ポーン」だから、「1・1・7」。

天気予報は「時報ではない」ほうだから、177。実にわかりやすい。これであなたも今日から、無駄な電話代も、無駄な時間も、使わずに済む。



…と、ここまで書いてみて、今や天気予報を知るために「177」をコールすることなど、ほとんどなくなっていることに気付いた。家にいるときには Web で天気予報を見ればいい。外出中でも、i-mode で事足りる。時報にしたって、今や腕時計、携帯の内蔵時計ですら自動更正機能を搭載したものがあるそうではないか。ほとんどの時計にこの機能が付加されるのも、時間の問題だ。
つまり、この裏技は、まもなく「知っていてもしょうがない知識」になってゆく。だが、まだ完全に死んでもいない。
我々は、まさにちょうど「化石化」しつつある事象を見つめているのかもしれない。