らいう

結構すごかったみたいですね。JR 秋葉原駅近くの電源施設に落雷、山手線が日中 3時間以上にわたり運休、11万8千人の足に影響したとか。
頭が重くて寝てたので私(おうる)の足(やその他)には影響なかったけど。
ところで、「○万人の足が乱れました」という表現、タモリ(か誰か)が TV で茶化してから使用されなくなったけど、あれはあれで夢のある表現だと思う。勿論死語アーカイブにエントリされることもなく、歴史に埋もれてゆく言い回しなわけだが、まあ使用しないにしても何らかのかたちで(歴史も踏まえた上で)遺してゆきたい表現だと思う。

私達は知らぬ間に世界を救っているのかもしれない

ひげを剃らずに、抜くようになってからかなり経つのだが(関連記事:id:owl:20030419)、これをやっていると気付くことがいろいろとある。ただし気付いてもメモするほどの内容でもないのがほとんどではあるのだが。そんな話のひとつ、実は透明なひげが意外と多い。
全て透明というわけでもなく、先端部のみ、抜いてみると毛根部はしっかり黒かったりするわけだが、ともかく生えている状態ではほとんど見えなかったりする。毛抜きでつまんでみて初めてわかるその存在。
見えないのだから、抜く必要も無いわけだ。そのうち見えるようになるわけで、それから抜いてもちっとも遅くはない。しかし、ひげそりを使用した場合には、こういった phantom mustache も他の普通のひげと一緒に一気に剃られてゆくこととなる。
ここでふと思ったのだけど、このひげそりの如く、我々は知らぬうちにいろんなものを駆逐しているのかもしれない。思わず伸びをしたその拳で、駅のホームでゴルフのスイング練習をするその傘先で、ふと手から滑って飛んでいってしまった缶詰の缶で、下草狩りにとふるった鎌の刃先で、その「見えないだけのナニカ」を退治しているのかもしれない。知らぬ間に。
そして私(おうる)も、どこかの場面では、人知れず駆逐されたもののひとつなのかもしれない。「視覚的に見える」なんていうのは、「みえる」のうちのほんのごく一部に過ぎない。
…ほんとどうでもいい。

セルフどっきり大作戦

足指の巻爪には、昔から悩まされてきたのである。
昔は、爪の縁をいかにして切り落とすか、みたいな方向性を追求し、ことごとく酷い目に遭ってきた。切れば、その切り口は鋭利になる。すると、食い込んだときに、切れる。きれると膿む。膿むと皮膚が軟化する。軟化すると更に食い込む。処置の為に、さらに切る。爪の奥のほうは切れないので、尖って残る。食い込んで膿む。…悪循環。靴が履けないほど酷いときもあった。今でも革靴は、ほとんど無理。
実際、食い込むからそこを切るというのはあまりよろしくなく、爪の縁は、切らずに、四角く残したほうが、巻爪の対策としては正解に近いのだ。ただし、伸ばした分だけふとした拍子に割れやすくはなる。
やはり一筋縄ではいかない。そうした苦労と試行錯誤の中から最近開発した方法は、食い込みも防止できるし、割と速効で痛みも無くなる。持続性もよい。ただ、問題が 2点ほど確認されており、発表するには少々躊躇される。(興味のあるかたはメールでもください。あるいはそのうちここに書くかもしれません。)
そんなこんなで、ある日、いつも酷いことになりがちな右足の親指の縁を、久々に思い切って処置しようということにした。とある技術を駆使して、縁の部分の爪をきれいに切り取ることができ、さああとは切った爪を剥がすだけ、という段になってやっと、その爪の下の異変に気付く。これは、尋常ならぬ事態が生じているようだ。しかし、今更躊躇しても遅く、最早あとは剥がすしかない。しばしの逡巡ののちにそっと持ち上げてみると、そこには熟れきったザクロの如き色をした液体のような、個体のようなナニカが爪を剥いだ部分全域にわたり、ラードのような膿のカタマリとともに存在していた…
…という夢をみた。当然、その強烈なショックで直後に目が覚めたわけだが、恐ろしくてしばらく自分の足のほうを見ることができなかった。
こういう、素頓狂だが悲惨な目に遭うような夢をみることは少なくない。
所謂「どっきり」というのは、通常ではありえない事態が降りかかり、それでパニックになる、というところがおもしろいのだが、重要な要素として「冷静になって考えればそんなこと起こりっこないじゃないかとすぐわかるような状況をすんなりと受け入れてびびっている」という部分が結構肝心だ。どんなにびっくりするような出来事でも、それが普通に起こりうるような話だと、笑えない。逆に、どんなに滑稽な場面を作ったとしても、それが日常から逸脱しすぎていれば、すぐにばれる。
夢というのは、完全に自分の脳の中で構成されたストーリーだ。間違いなく、他の誰が作ったものでもない。その夢で、こうまでびっくりさせられるというのは、一体どういうことなのだろうか。脳内に「夢構成作家」みたいなのがいたとして、そいつがどっきりを仕掛けようとか思うのだろうか。にしても、安いストーリーだ。冷静に考えれば、爪の下がそんな酷いことになるまで気付かないわけがないし、それまで放っておくわけもない。でも、夢の中の自分は、なんら疑うこともなく、本気でびびっている。自分、あっさり信じ込みすぎ。
私(おうる)は、自分の脳内作家に対しては、うってつけのカモだ。でも、その脳内作家は、はっきりいってへぼい。三流以下だ。しかしその三流以下に騙されて地団駄を踏んでいる自分は、正味な話、それ以下だ。
私(おうる)の脳は何が楽しくて、私(おうる)にこんな罠を仕掛けるのだろうか。