だがしかし、そのままでは食べない

カップ焼きそば如きで存外な幸福感を得ている今日この頃。
ただし、「つくりかた」などかなり無視し、できあがったものは凡そ「焼きそば」ではない。「カップ焼きそばはそもそも焼いてないから焼きそばではないじゃないか」というような議論など、まこと河合らしく見えてくるほどである。
「麺料理的な何か」を、腹に収める。