ウゴウゴルーガの魂はいまもフジの朝に生き続けている

生放送 CG 合成のノウハウとかそういうのはまあいいとして、だ。
なんかその日や季節に因んだ野菜などの食材を採りあげて、なんとなくオリジナルっぽい料理に仕立てる。蘊蓄とともに披露する。出演者が食べる。TV だから味もにおいも伝わらない。おいしいのは出演者だけで、誰かに何かのメリットがあるわけでもない。あまつさえ、どちらかといえばチャレンジングスピリットに溢れる料理の完成度も必ずしも高いわけでなく、出演者の舌に合うと保証されているはずもない。しかも慌ただしい生放送で食べるところを放映するというリスクを背負っている。それを知ってか知らずか、出演者達はむしろくつろいだ雰囲気で、出されたものを普通に食べる。演出や衒いなど無い。むしろ公共の電波ではギリギリのラインだ。
こうしたものがニュース番組の 1コーナーとして毎日のように放送される意味を考えてみる。だが、少し考えてみてなんとなく閃いた、これは考えたりするものではなかった。何故ならば、それはウゴウゴルーガで培われた魂と言っても過言ではないからだ。ならば考えるだけ無駄であろう、それは道理である。
先般発売された DVD の最終巻・最終チャプターは音声無し・白バックに文字だけの数秒間。「UGOUGO LHUGA is over. Thank you !」、それだけ。続くだとか、永遠に、だとか、またいつかどこかで、なんてことは言わない潔い姿勢、矜持のようなものすら感じられる。しかし、その魂は TV の続く限り、脈々と受け継がれ、進化している、改めてそんな気がした。
だからこそ、それを誰よりもわかっているからこそ、彼等は、潔く筆を置けたのかもしれないとも言える。
で、ていう。