遅ればせながら、Qマ大臣(前)の発言に思う

といっても、問題の発言ではなくその直後のインタビューかなにかでの発言だが。彼がマイクを向けられて言っていたのは:

発言のごく一部だけを取り出してあげつらい、おもしろおかしく報道するような連中には、必ず何らかの報いがあるものと信じている。

大体こんなような内容だったと記憶している。
そこでふと私(おうる)が思ったのは、報道関係者たちに天罰が下るといいねとかそういうことではなくて、現実には天罰が下ったとしてもそんなわかりやすい形ですぐに下るとは限らないわけで… でもって、「因果応報」の「因」と「果」の距離を、時間的にできる限り引き延ばすことができさえずれば、 −− 具体的には 100年ぐらい、実用的には数年〜数10年程度か −− 人生は凡そナンデモアリだ、というようなこと。
ここでさらに思ったのは、「前世の業」だとか「来世の報い」だとか、そういうような物言いというのは、この時間的引張を思いついても実行しないようにするために考え出されたものなのかもしれないな、ということである。
よく「刹那主義」なんて言い方をしたりするが、本当に刹那であるならば短すぎてお話にならないわけであって、大概の「刹那主義」における「刹那」は数日、数週間、数年間の時間的ボリュームを有している。はっきり言って充分ではないか、とも思えるのだ。
「それ」を 100年引き延ばしている人たちは現実にはかなり存在するようにも思うし、実際、言うほど難しいことでもないような気さえする。