人間は工業製品ぢゃないのです

例えば、「青島さんの前の前の知事が大学で教鞭を執っていた頃、卒業単位がどうしても足りないので、ダメもとで彼の研究室お願いに行ったところ、で、何が欲しいの、と言われて、思わず、良でいいです、と答えたら、あっさり良をくれた、あのとき優が欲しいと答えていたらどうなっていたんだろう」なんていうような話が美談or笑い話として語られる時代は終わったということか(終わった論法)。
例えば、「センター試験で、地歴がどうしても苦手で政経ならまだましかもしれないという状況でとにかく社会系科目をということで倫理政経をとり、受けてみたところ、まったく聞いたこともないような内容が出てきた、で、試験のあと問題用紙を手に社会科準備室にねじ込み、そのとき日本史を教わっていた先生を相手に、だからこのキリストは死んだってのは一体なんなんだ、だからそれは彼が彼の思想をそういう言葉で表現したのだ、なんて話を 3時間かけて繰り広げた、その 3時間が高校 3年間唯一の倫理の授業だった」なんて話がいい思い出として語られる時代は終わったということか(終w以下略)。
例えば、「え、うちって物理化学生物地学も日本史世界史地理も、数学は微積まで、全員必修だったよ」なんて大っぴらに言える時代は終w(o以下略)。
なんか、みんな学校の責任だとか怒りをどこにぶつければとか、いろいろ言ってるようだけど、じゃあ、小中学校あたりにいくらでもいた授業をやんない、というか、その能力のない「ダメ教師」は放置なのか。どのレベルでやれば「ちゃんとやった」と認めるのか。
当事者の不安は察して余りあるものがあるが、なんか寂しい世の中になっちゃったなぁという感慨のほうが、私(おうる)の中では、強い。
本年度卒業見込の生徒には特別措置として「今回の一件、要するに誰が悪いのか」という問題を出し、これを史観で論述できたら社会科目の単位認定とか、すればいい。