曲を汚す行為

以前、長渕剛が「泥酔のオヤジが『乾杯』を歌うのを聞いてしまい、それ以来自分は『乾杯』を歌うのをやめた」という内容の話をしているのをきいた(読んだ?)ことがある。そのときは「そこまで吝嗇を気取らなくてもいいんじゃないか、むしろ本物(と自らが信じるそれ)を世の中により多く発信してゆくべきと考えた方がよいのでは?」などと思っていたのだが、今日ふと中島みゆきの『時代』を聞いたとき林真須美が頭の中に浮かんできて、ああそういうことか、と思い知った気がした。私(おうる)は今後余程のことがない限りにおいてこの曲とこの人物を切り離すことができないと想像する。それは身の毛もよだつことだ。ましてや、その曲を持ち歌としている人物にとってそうした「負の関連付け」はどういう気持ちがするのだろうか、想像もしたくない。
そしてそれはあまりに呆気ない。