些細な疑問

ほんとうは翌日に付けるべきなのだろうけど、あんまり堂々と書くのもアレゲなのでここにひっそりと。

私(おうる)がもし女性であったならばわりとはまっているであろう雰囲気の店のひとつ、 THE BODY SHOP なのだが、こういう案配でこういうキャンペーンを張られてしまうと、正直、引く。
THE BODY SHOP は、99% 女性のためのショップである。利用する客のおそらく 9割以上が女性。「女性のための購入」という男性客ニーズも含めれば、たぶんほぼ 100% という数字になるであろう。そういうお店が社会に対してメッセージ性の強いキャンペーンを張るということはつまり、その利用者のためのキャンペーンということになる。(実際のスタンスはそうでなくても、社会的にはそうなる。)そしてその掲げたテーマが「DV」。事実として、この DV の被害者はほぼすべて女性だ。加害者は男性だ。つまり図式としては、「女性のためのショップが女性のために、ショップ展開で得たネームバリューと強い広告性を武器に、女性の社会問題を糾弾する」というかたちになっている。
悪いとは、言わない。でも、男性の立場から言わせていただけば、正直、引く。
これが例えば、スポーツ用品を広く扱うショップによるものであったなら、印象はまったく異なると思う。文具店でもいい。無印とかボザールのようなライフスタイルショップでもいい。しかしこれが女性のための(事実上)女性専用ショップが展開するとなると事情が異なるのではないだろうか。
というような話はさておき、本題の些細な疑問。
交際中の女性を男性が殴ったら、その女性はそれを DV だ!と言うのだろうけど、女性が男性をひっぱたいても DV とは言わないだろう。ここには一体なにがあるのだろうか? 答えはわりと簡単なような気もする*1のだが、簡単に片付かない部分もあるように感じる。
因みの話だが、すぐに人をひっぱたいたり、人を足蹴にしたり、人の鼻をつまんだりする人がたまにいる。不思議なことに、私(おうる)のそばにいると、そういう人の「悪癖」は数ヶ月以内にぴたりと止む。理由はよくわからないのだが。
暴力は、いけないことだ。それは言うまでもないことだし、私(おうる)も肝に銘じなくてはならないことのひとつと認識している。では、現実に今自分の目の前にある暴力に対して、私はどう処理すればよいのか、という問題は、非常に深刻且つ容易ならぬ問題だ。掲げられた標題のシンプルさと実際面の困難さ。この乖離が DV の問題を深刻化させるのに一役買っているように思う。
なお、その理不尽な力に対してとれる手段はおおきく 3つあり、ひとつは回避すること(物理的回避の他に、忍従などの精神的回避もある)、いまひとつはより強い力にすがることだ。私(おうる)は 2つめの考え方が嫌いで、これを導入せずになんとかしたかった*2、でもどうにもならなかった経験を持つ。修行だとか鍛錬だとか、目的の達成とか、そういったことには時間がかかるものだし、生まれついた状況によっては到底達成できない場合もある。ひとつの人生というスパンのなかで実現できないことは少なくない。それでも、声は上げたほうがいいのだろうか。長くても大抵は数年間、最悪100年間、心にしまっておけば済むことなのかもしれない、とふと考えたくなる気持ちもわからなくはない(それがいいことかどうかはともかくとして。というかそのひと個人の人生においていいことであるはずもないのだけど)し、幼い子供にとってはそれしか手段が無いのだろう。「声を上げよう」という主張は至極もっともだが、それを受け止める下地が無い現状のままでは、そんなことをさせればもっと悲惨なことになるのは想像に難くない。
なお、3つめの方法を、私は口にしない。それは語るものではないから。

*1:未就学児童が親を蹴っても叩いても DV とは言わない。逆の場合は DV と言う。また、小学校も高学年になると親に手を上げれば DV と言われる可能性がある。男子中学生が親を殴ればそれは DV だ。…つまり、そういうことだ。
鬼嫁が旦那をしばいたら? ……ええと、ええと。

*2:幼少の頃において最も身近な「強い力」であるところの「親」がその力を私(おうる)のために行使することをひたすらに拒否し続けた所為もあると思われる。