一方で、インスパイア元を明らかにしないのは卑怯だという意見もある。

まあでも、直接的な関連話題というわけでもないのであんまりリンクとかしない。なにかといえば、モテだとか非モテだとかいやそれは避モテだとか、結局のところは机上の空論なのな、という感じか。見合い結婚じゃないんだから、恋愛がなんにもないところから始まるわけがないのだ。まずは好きになること。惚れること。そこから始まるんじゃないのか。でもって、その惚れた相手に振り向いて欲しくて、笑顔を見たくて、構って欲しくて、話を聞いて欲しくて、一緒にいて欲しくて、触れたくて…そのためにはどうしたらいいのか、悩み、考え、努力するんじゃないのか。そのスタート地点にたどり着かないのならば、その時点でのその人に恋愛は必要ないってそれだけの話だろう。別に相手は常に余命 3ヶ月なわけでもなければ、誰もかれもが明日転校してしまうわけでもないんだから、スタート地点に立ってから考え始めたって、それほど遅くはないはずだ。
…ただし、である。
今朝、下北沢駅の階段で、旅行カバンを 1段1段引きずるように、やっとの思いで持ち上げている女の子がいたので、声をかけ、階段の上まで運ぶのを手伝った。私(おうる)は単に自分の腕力(かいなぢから)を無理なく程良く発揮できる場面に臨んで労を厭うてはいけないと思っているだけであって、他意はない。私(おうる)もその女の子の顔も碌に見ずにそそくさと立ち去ったわけだが、恐らくその女の子にとって「世間」の好感度といったようなものは若干なりとも上がったであろう*1
とここでふと考えた。所謂「モテ」のひとたちは、下心があるとか無いとかに関わらず、こういう場面でも気の利いた科白のひとつでも吐いて去るのだろうな、とか。
さしあたって私(おうる)はひとつひとつのコミュニケーション場面において、相手が男であろうが女であろうが「友達の輪」を広げたい、とか、積極的に考えたりしない*2。それほど人間に興味がないし、有り体にいえばそれほど人間が好きではない。だから、普段のコミュニケーション行動の表出もかなり素っ気なくなる。
余談だが、興味がないから、あまり覚えない。今日、雑談で「世界でどこか行きたいところがあるか」という話になったのだが、その話の中で相手がどこに行きたいと言ったか覚えていない。多分、そういうことは覚えていないといけないことだ。(勿論、その相手に興味があれば、の話だが)
翻ってみるに、コミュニケーションなんて、理論・理屈と定石とテクニック、そしてその組み合わせと積み重ねだ。それがいいとか悪いとか言うつもりはない。先程は「スタート地点に立ってから悩み初めても遅くはないだろう」と言ったが、人間いきなり器用になんでもできるかというとそんなことはなく、やはり事前に練習をたくさん積んでいたほうがうまくいきやすいに決まっている。
「スキーが苦手だ」と悩むぐらいくだらないことはないと思う。練習し、テクニックを学び、あとはその練習を積み重ねるだけだろう*3。やるしかない。対人コミュニケーションにしたってそうだ。営業マンとか、風俗業界の人とか、生活・お金という目的のためにそのテクニックを訓練によって身につける人もいる。いやいやでも目的があればそれは可能だということでもある。では、お金とかそういう目的がこれといってない場合はどうかというと、あとはそれをやりたいかどうかだ。自分という人間がそれを欲しているかどうか。それを獲得するために努力をする価値が自分にとって「ある」と思えるかどうか。もし「それほど必要とは思えない」のならば、最低限生活に必要なコミュニケーションスキルだけ獲得して、そこで終わりにすればいいだろう。それ以上に、なにか人と触れ合いたい、と感じるのならば、それなりの努力と、練習の積み重ねをする、それだけのことである。練習して、それを積み重ねて、その分だけうまくなればいい。そのテクニックが小手先のものか、生得的なものか、なんてことは関係ない。
具体的な目標が今、目の前に無い人も、来るべきその日のために鍛練を積んでおく必要はあるだろう。…と、ほんとうはもう少し述べなくてはいけない部分があるのだが、時間切れで終了。肝心なところには触れずに終わる。「だから、何」というところの先が私(おうる)はいちばん肝心だと思っているが、その点に触れると論理がますますこじれそうだ。
なんというのかな、人間にはその先を思い描くに足る「想像力」が充分に備わっていると私(おうる)は思っている。

*1:いや、ひょっとしたら、釣りだったのかもしれない。とすれば、彼女にとって今回は釣り損ないだったということだ。

*2:そういうことを考える時点で既にコミュニケーション不全とも言えるわけだが。

*3:たとえばの話だが、怪我で片足を失った人の中にもスキーを楽しんでいる人はいる。もうひとつ、たとえばの話だが、忙しくてスキーなんかできない、という人もいる。