眼鏡と帽子

その昔、お付き合いさせていただいていたかたは、眼鏡が似合わなかった。すこぶる目がよいので眼鏡をかける必要がなかったのがせめてもの幸いといえば幸いで、サングラスにしても普通の眼鏡にしても、かけてみた眼鏡が似合った試しがなかった。これならばどうか、と選び抜いたものでも、どこかしら不自然さが拭えなかった。
そのかわり、彼女は、帽子がとてもよく似合った。流行りの帽子でも、ちょっと変わったデザインチックなものでも、まずほとんどの帽子をそれらしくかぶりこなした。
いっぽうで私(おうる)は、普段は眼鏡をかけずに過ごしていることになっているが、ふとかけてみるサングラスが似合わなかった試しがない。ほとんどは様になった。笑いをとるためにみんなでかけたいかついサングラスも、私(おうる)については似合ってしまい笑いにならなかった。度付きの眼鏡を覗かせてもらうときも、かけると本来の持ち主並に似合ってしまう。車の運転の際にはサングラスをかけるが、様になりすぎるので外したこともあった。
そして私(おうる)は、帽子が似合わない。ことごとく似合わない。スキー場では帽子をかぶらないと寒くてやってられないのだが、帽子が似合わないので敢えて切れそうな耳を寒風に晒した。小学生の定番、野球帽も違和感アリアリだった。中学校の制服には帽子が無くて正直ほっとした。ベレー帽にあこがれた時期もあったが、実際に被ってみるとその似合わなさに自分自身でも呆れて物が言えなかった。
帽子と眼鏡。お互いに似合いすぎる、似合わなすぎるアイテム。でも、おかげで諸々噛み合ったりとか補いあったりとかそういうことかといえば、別段そういうことでもなかった。勿論、私(おうる)は帽子について疎いので、彼女に帽子をプレゼントしたりしなかった。彼女も、眼鏡に縁のない人生だったゆえもあってか、私(おうる)にサングラスをプレゼントしたりはしなかった。
なんとなく思い出したので書いてみた。他意はない。