そんなわけでして。

蘊蓄とかトリヴィアとか出来事とかその他諸々とかそういった類いは出てくるわけがないのであって、出てきても本人が面白くないわけであって、自分で面白く無いものやことがその他のひとにとって面白かろう可能性など限りなくゼロに近いのである。
問題は、だからといって、何も書かないそれに存在意義があるのかといえば事実全く無いという、そこらへんであろうか。
ああ、やめちまえやめちまえ。もうやめちまえ諸々やめちまえ。…と思ったけども、かなり最初のほうにやめちまうことをやめちまったので、どちらかというとそれすら叶わぬ現状*1
…なんだこの文?

*1:モチーフは安野光雅「手品師の帽子」であって原典では主人公である吟遊詩人が全てを忘れてしまおうと思いつくまま単語を挙げてゆくうちに『忘れる』という語を忘れてしまった場合にはそれ以降「忘れる」ということすらできなくなってしまうのではなどというどうでもよさげなことを(帽子の中で)ぐるぐると思いいたすのである。