2004-12-18 ↑自分のあざとさに辟易する。(あるいは、したりする。) 要は、「そういうニーズ」があるだろうと読んだうえでのアートであり、意味は特にない。ただ、わかるひとにはなんとなくわかる毒気が吾ながらなんとも。