写真日記という快楽

owl2004-09-30

その日の終わりにその日の総括的な、あるいはその日のトピックス的な文章をひねるのが日記であるならば、なりわいにほぼ全てのスタミナを使い果たし余力を残していないがゆえに書けない日だってあるだろう。効率の悪い忙しさがなにより嫌いな私(おうる)であるから逆説的に日記を記すぐらいのゆとりは人生に不可欠だと思うわけだが、それが理想に過ぎないということも認識はしているつもり。
時間はある程度確保できたとしても、思考力にゆとりが無くて文章など捻り出すことが容易でないという場合もある。こと文章に関してはランニングとか筋トレ的なスポーツと似たところがあり、普段から書いていることによって書くのがあたかも癖のようになってゆくものだと私(おうる)は思うのだが*1、「肉離れ」とか起きたり、どうにも噴けずというようなことがあるところまで、スポーツチックだ。
「脳力」を使い果たした*2感、満載で、今日も書けない。…そんなとき、昼間撮影した写真の 1枚でもあれば、割と客観的にその日を振り返ることができたりする。ともすれば鍵となり、ことによってはその日そのものとなる。言うてしまえば、その 1枚の写真を黙って掲載したほうが下手に文章をひねるよりマシたっだりする。写真にキャプションをつけるという作業はコピーライターの仕事に似ている気がする。スポーツで言えば筋トレよりはゴルフかなにか。
ほら、今日もこうしてゼロがゼロでなくなった。
因みに標記画像は、アングルがかなり特殊で、被写体の彼の表情にもそれがよく現れている。私(おうる)はこうした偶然とフットワークだけがウリのような近景撮影が得意だ。
とはいえ、2002年3月からほとんど毎日使用し続けているこのカメラ、スペック不足と劣化は否めない(と、激しい手ブレをさておきカメラの所為にする)。
そういえば今日はこの子とのにらめっこで始まったんだっけ。

*1:イラストなんかも同じだと思う

*2:でも翻ってみるに、頭脳労働をした覚えが無いのだが、それはどういうことだろうか。