そこで無い知恵を絞って考えた、そりゃもう考えに考えたさ。

考えるきっかけは、id:nobody:20040610#20040610f1 さん。
愕然とした。
そういえば、なんの根拠も無しに 1年を 4等分すれば春と秋は出てくるぐらいにしか思っていなかった。そう、4等分に合理的な意味はない。だから、実質を伴わないものから生まれたそれらには実体がない。
たぶん、私(おうる)もその事実に気付いてはいたのだろうと思う。でも、意識のなかでそれをあからさまにしてしまうと、それを否定するに足るものを私(おうる)は持っていないから、無意識のうちに気付いていないフリをしてきたのかもしれない。
…なんて大袈裟なものではないけど、なんとかこれを打破、すなわち標記命題を論破できないものかというモードに私(おうる)の脳は入った。
しかし、暑いのが夏。寒いのが冬。これら 2つに挟まれたどちらでもない時期、これが春と秋ならば、そこに実体を見いだすことはできない。
その閃きは突如、電車の中でやってきた。最初は、「回帰線」という単語。春と秋は太陽が回帰線に乗っかるんだっけか? いや、というかそんなことより、昼と夜の時間が等しいこと。これは明らかに実体を伴う事実。
結論。春分秋分。これが春と秋の実体。
ちょっとした論拠ですぐに崩されてしまうような理屈だが、というかそもそも論破とかそういうようなことなどできてはいないわけだが、ひとまずはなかなか上質の a-ha 体験を得られたので、熾火研究所的にはよしとしておく。世にこれを自己満足という。
満月に乾杯。