…というのもなんなので。

以前勤務していた会社で、中国人留学生のひとがアルバイトしていた。
私(おうる)自体は仕事で直接関わったことはなかったのだが、端で見ていると、嘱託社員のひと(非常勤)から何か説明や指示を受けるたび、広げた右手(パー)を力強く突き出している。
なにかこう大陸ではそんな挨拶でもあるのだろうか、にしてもちょっと強烈だ。気になって「彼女のやっているあの「パー」は一体なんなのですか」訊いてみると、笑いながら教えてくれた。
「パー」は、いまの説明に対してどの程度わかったか、を示す合図で、社内、それも一部の人同士でしか通じない超ローカルルールだという。
嘱託社員さん曰く、物事に対して「わかりません」「理解できませんでした」ということを言葉で表明するのは、中国のかたにとってはどうにも我慢ならないことなのだそうで、実際それでは仕事が進まないから、相談した結果、理解度を 0〜5 の 6段階にして手で表示してもらうようにしたのだという。だから「パー」は「理解度 5」、完全に理解できましたという意味。よくわからなかったときには「チョキ」(理解度 2)とかになる。口に出さず、手で合図ならば、心理的にクリアらしい。
プライドのかたちにもいろいろあるのだな、と、感心すると同時に、その社員さんの高度なコミュニケーション能力に感動したものだった。その人のなかの「ルール」を的確に抽出し、その「ルール」に応じた「修正ルール」でフォローする。これは教育者の資質そのものだ。(事実、その嘱託社員さんは大学で非常勤講師もしておられる、歴とした教育者であった。)
私(おうる)なら、どうしただろうか? 私(おうる)ならば全く異なるソリューションを模索しただろう(基本的に異なるタイプの人間である)が、その結果は、到底及ばなかったであろうと想像する。