問答無用

言葉なんか遣わなくたって表現できることは、勿論たくさんある。



苦手だった日本史のテスト、どう見ても舌足らずな記述式回答欄の最後に小さく「(抽象のはしご)」と書き足しておいたら
気持ちはわかるがもう少し具体的に!
と(赤ペンで)書かれた。(部分点ももらえなかった。)

「言葉は抽象のはしご」とは、その日本史の先生が授業中に教えてくれた概念。出展は不詳。
人間の脳内にある概念は完全なかたちのまま表に取り出すことができない。何によって表現してもそれは飽くまで「抽象(的)」である。一見「具象」のカタマリであるかのような「言葉」でさえ例外ではなくこれも「抽象」。しかし、適切な言葉でもって表現することによって伝達者の持つ概念が受領者の脳内へと「ジャンプ」することがある(「一を聞いて十を知る」というのが割と近いかもしれない(正確には異なる))。このとき言葉は 2つの脳内概念を橋渡しする役をなしている。これをもって「抽象のはしご(梯子)」と称する。
↑確かこんな感じだったと思う。
そんな言葉の遣い手になりたいものだ。(願うだけでは到底敵うものではない。)