晴れた空のその空の青

私(おうる)は球技がことごとく苦手で、ものを投げるとか、打つとか、そういう動作はことのほか億劫だ。その理由はさまざまあるだろうが、ひとつには「調整力」の圧倒的欠如がある。正味な話、あらゆる運動に不可欠な「調整力」を欠くということはそれはずばり「運動音痴」ということだ。
そうなのかもしれない。
外界からの情報をその都度的確に取り入れて分析し、瞬間瞬間ごとに出力強度を微妙に調整してゆく。そういう作業が心から苦手だ。車の運転でも苦労した。他の人がしなくても済んでいるそんな苦労を重ねに重ねて、私(おうる)に適した小脳モデルを形成するまでのあいだ、運転中は常に体中をものすごい量のアドレナリンが駆け巡っていた。
そんな、全身が軋み返るような思いを蓄積したところで、その先に的確なモデルがあるかどうかなど、ほとんどの場合はわからないのだ。とりあえずは明後日の方向に打ち返してみたり、狙ったつもりのない顔面へと投げ返したりする。周りもつらかろうが、当の本人はつらいうえに凹むからそのダメージは 2倍だ。
晴れた空のその空の青のなかへ、なにも考えずに打ち込めたらいいのに。
そんなふうに思うことは何度でもある。でも、歯を食いしばって明日も普通に構えてみる。見よう見まねで、それっぽく構える。



…っていったい何を書いてるんだ、私(おうる)は。